ぽつりと言った。「こんな場所でも、思い出が積もると出られへんわ」
神戸市垂水区名谷町の震災復興住宅「ベルデ名谷」。一人暮らしの内藤唯克(ただかつ)さん(74)は病気でほとんど目が見えない。4年半前に妻道子さん=当時(66)=を失った。6畳間で遺影に向かい、小さな音でキーボードを奏でてくれた。
つるをつなぐたんびに
家がなおってくれたら
どんなにいいだろう
つるをつなぐたんびに
人が生きかえったら
どんなにいいだろう
震災で同市長田区片山町の自宅は全壊。仮設住宅に入ったとき、沖縄から折り鶴に添えて被災地に届いた少女の詩「つる」に、内藤さんが曲をつけた。
演奏するたび、「なんて優しい子やろ」と泣いた道子さんをまぶたに浮かべる。妻の姿は、目が良かったころに焼き付けた二十数年前のままだ。
1999年、夫婦でベルデ名谷に入り、生活は道子さんがパートで支えた。だが2002年、脳梗塞で倒れた道子さんは4年の闘病生活の末、亡くなった。
看病中、道子さんが片言で話した18の言葉をポスターの裏に書いて冷蔵庫に張る。右目は失明したが、光をわずかに感じられる左目で読めるよう、大きく赤色の字で「おかえりなさい」「大丈夫ですよ」「うれしいよ」…。
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ベルデ名谷は7棟の建物に913世帯が暮らす。神戸市内の復興住宅の高齢化率は51%で、内藤さんの7号棟も約4割が高齢者の一人暮らし。夫婦で入居した世帯も、多くはどちらかが亡くなった。
内藤さんは2カ月前、トイレのドアノブが壊れ、閉じこめられた。非常ベルのボタンを手探りで押し、レスキュー隊がベランダの窓を割って助け出してくれたが、「みとられずに死ぬ不安を感じた」と振り返る。
妻と過ごした場所を移るつもりはない。ただ、被災者が対象だった家賃軽減は10年で期限切れ。ほぼ5世帯に1世帯が生活保護を受け、住み慣れた町へと戻っていった住民はほとんどない。市は子育て世帯の募集を増やすが、若年層は仕事が忙しくて親しくする機会が少ない。それは震災後に供給された約4万戸の復興住宅でも同じという。
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内藤さんは、人の顔が見えないから声と名前が一致しない。だから積極的に話し掛けることもない。それでも作曲した「つる」は住民たちが口ずさみ、内藤さんに声をかけてくる。
2階上で一人暮らしをする女性(73)もその一人。震災で同市兵庫区の自宅は全壊し、手足に障害を抱えるが、曲を聴くたびに思う。「みんなに感謝して生きたい。そして、きれいに人生の終わりを迎えたい」
毎月第2日曜日、ベルデ名谷の集会所では15~30人のお年寄りが集まり、内藤さんの演奏で合唱する。柔らかなメロディーで「つる」はこう締めくくる。
つるをつなぐと
ねがいがかなう
そんなつるがいたら
どんなにいいだろう
「震災で激変した人生だが、震災がないとなかった出会いがある。心を支え合って生きたい」。内藤さんの願いだ。(安藤文暁)
2011/1/12