年が改まった1月11日。神戸市長田区神楽町6丁目。JR新長田駅北側すぐの飲食店「エクボ」に、近兼(ちかがね)啓次郎さん(74)が1枚のA4用紙を持って訪れた。近兼さんは阪神・淡路大震災で休止中の「神楽町6丁目自治会」の会計担当。店を切り盛りする安江弘子さん(73)は「自治会再開について」と書かれた用紙を目で追った。「ようやくですね」。笑顔が広がった。
安江さんは18歳の時、西隣の同市長田区松野通で両親と喫茶店を始めた。ケミカル工場の従業員らなじみの客でいつも繁盛していた。「あいさつしなさい」と近所の子どもをしかりつけても誰も文句を言わないくらい、地域がひとつの大所帯のような街だった。
震災で一変した。被害が大きかった新長田駅の北側一帯は、発生から約2カ月後に土地区画整理事業が決まった。安江さんの店は道路拡張で立ち退かざるを得なかった。市から示された移転先が今の場所だった。
自宅を兼ねた店舗を構えて9年になるが、近所付き合いはぐっと減った。「神楽町6丁目」にとってはよそ者。「ごみを出すのも気が引ける。まるで外国で住んでいるみたい」。広くなった道路を挟んだ向こうの“地元”が恋しい。
だからこそ、自治会の再開が楽しみだ。「前みたいに近所と親しくできるきっかけになったらいい」
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神楽町6丁目は震災前、長屋が軒を連ね、今の3倍以上の約110世帯が生活していた。約60年前から暮らす山本小太郎さん(72)は、今の半分の道幅だった自宅前の私道に植木を並べ、近所の人と自慢の花を交換したことを懐かしく思い出す。
あの揺れで6人が亡くなり、大半の木造住宅が倒壊した。借家で暮らしていた人の多くはこの地に戻れず、安江さんのように地域をまたいで転居した人もたくさんいた。
区画整理事業は、小さな地域の集合体だった自治会を過去のものとした。代わってできたのは、それまでの何倍ものエリアを束ねる「まちづくり協議会」。神楽町6丁目を含む10・8ヘクタールの広大な住民組織が誕生したが、「町の景観や川の管理などハード面について考える集まり。コミュニティーの再生には至らなかった」と近兼さんは話す。
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本年度末、区画整理事業が完了する。まち協も役目を終えようとしている。神楽町6丁目はほぼ全区画が埋まり、三十数世帯が暮らす。震災後に転入してきた世帯は約3割に上った。駐車問題やごみ当番など、日常の細かな課題を解決する受け皿が必要になってきた。
昨年5月ごろ、近兼さんは休止前の自治会長中島利夫さん(75)らを訪ねた。「再び立ち上げる最後のチャンス」。協力を呼び掛けた。
「もう一度、始めることになりましてん」。昨年末から一軒一軒回り、自治会の趣旨を説明している。新しい住民からは「近所付き合いは煩わしい」という本音も漏れる。そんな時、「いざというときのために、ゆっくりでいいから前みたいなつながりを戻していきたい」と分かってもらう。
一日も早い復活へ、まずは、がれきの中から取り出せなかった自治会名簿の作成に取り掛かる。(斉藤絵美)
2011/1/17