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阪神・淡路大震災。つぶれた家と、つぶれなかった家が隣り合っていた=1995年1月18日、芦屋市内
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阪神・淡路大震災。つぶれた家と、つぶれなかった家が隣り合っていた=1995年1月18日、芦屋市内

阪神・淡路大震災。つぶれた家と、つぶれなかった家が隣り合っていた=1995年1月18日、芦屋市内

阪神・淡路大震災。つぶれた家と、つぶれなかった家が隣り合っていた=1995年1月18日、芦屋市内

 それは、残酷なまでに対照的な光景だった。

 1995年1月17日、西宮市桜谷町。自宅の離れで寝ていた元神戸市職員、稲毛政信(68)がドーンというごう音で庭に飛び出すと、母屋2階の屋根が地面に落ちていた。

 戦後すぐに建てられた木造住宅。「かずた!」。叫んだが、返事はない。

 1時間後、2階で寝ていた長男和太=当時(17)=を、がれきの隙間から掘り起こした。まだ温かい。

 近所の人の助けで病院に運んだ。息はなかった。兵庫県立西宮甲山高校2年生。友人の多い、優しい子だった。

 頭が真っ白になっていた稲毛がそのことに気付いたのは2、3カ月後だ。築50年のわが家はぺしゃんこなのに、隣の家はほぼ無傷で立っている。

 この明暗は何なのか。

      ■

 木造住宅耐震工学の第一人者、東京大名誉教授の坂本功(71)は歯がみをする思いだった。

 阪神・淡路大震災の直後、被災地で倒壊家屋の調査を始めた。「震災の帯」と呼ばれた激甚地区でも、倒れずに残った家があった。一方、1981年5月末までに建てられた「旧耐震住宅」など、戦後に建った古い住宅が集中的にやられている。

 不安が現実になった。

 日本で建物の耐震工学が生まれたのは1891(明治24)年の濃尾地震とされる。岐阜県を中心に14万棟が全壊し、7千人が亡くなった。

 「あのときの被害とほとんど同じだ。私たちはこの100年間、何をしていたのか」

      ■

 2009年、中央防災会議は「緊急対策方針」で建物の耐震化を「国家的な緊急課題」と位置付けた。

 今年6月、神戸市内であったシンポジウム。30年以内の発生確率は88%と、日本で最も発生が危惧される東海地震の想定区域で耐震化に取り組む名古屋工業大の井戸田(いどた)秀樹(54)は声を強めた。

 「名古屋市の旧耐震住宅は50万棟。耐震改修は全国トップクラスだが、それでも1年間に進むのは1千棟。全戸の耐震化に500年かかる。正直、焼け石に水だ」

      ■

 国土交通省は2015年の全国の住宅耐震化目標を90%と発表した。神戸大名誉教授、室崎益輝(よしてる)(70)は声を荒らげる。「そんな目標はまやかしだ」

 新築住宅は年間35万戸。古い住宅の解体など自然減も含めると、耐震化率は自動的に上昇する。改修されずに残る古い家の実態は、かえって見えにくくなっている。

 もし、阪神・淡路が発生した時点で住宅の耐震化率が100%だったら--。あえて室崎に聞いた。

 「直感的な数字だが」と前置きした上で言った。

 「死者は数百人か、それ以下に抑えられただろう。これから巨大災害の時代が来る。旧耐震住宅の耐震化は防災の核心的な課題だ」

   ◎    ◎

 関連死も含め6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は、大半の人が自宅で寝ている早朝に起きた。死者の多くはつぶれた家の下敷きになった。がれきに埋もれ、逃げられなくなった人が火災にのまれた。自宅を失った人が避難所や仮設住宅で疲れ果て、関連死となった。家さえ倒れなければ--。

 だが、旧耐震住宅の耐震化は進んでいない。その数、全国で1084万棟、兵庫県では45万棟。来年で発生から20年になるというのに、阪神・淡路の教訓は生かされていない。

 私たちが今、直視すべき課題は明らかだ。=敬称略=

(木村信行)

2014/8/31
 

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