原発事故が関連死を生む。東日本大震災が示した深刻な課題だ。
福島市にある元社宅の集合住宅。福島県飯舘村から避難し、今年春、電子機器関連の会社を退職した高橋清(60)宅で、妻広美=当時(48)=の遺影が家族を見守る。
広美が亡くなったのは、震災から約半年後の2011年9月。パート先の測量会社で倒れ、間もなく息を引き取った。死因はくも膜下出血。高橋にとって、その朝、手を振って見送ってくれた姿が最後になった。
飯舘村は内陸にあり、津波は襲来していない。東京電力福島第1原発からも、ほとんどの区域が30キロ圏外にある。しかし、雪とともに放射性物質が降り注ぎ、全村避難を余儀なくされた。
夫婦と父藤七(とうしち)(87)、子ども3人の一家6人は避難を繰り返した。
震災の1週間後、広美は子どもたちと福島市の実家に避難。一度自宅に戻ったが、4月、村は計画的避難区域となり、5月に同市内の県職員住宅に入居した。ところが、その地域も放射線量が高く、再び転居。広美の死は、その直後だった。
「女房の後にも、同じ集落の住民の葬式が続いた。原発事故は根こそぎ奪っていく」と高橋。藤七も「できれば代わってやりたかった」とつぶやいた。
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福島県の関連死は、今年3月時点で1704人。津波などによる「直接死」の1611人を上回り、他の被災県と比べても突出している。
一因とされるのが、原発事故による避難の負担だ。復興庁が岩手、宮城、福島県の関連死約1200人について原因を調査した結果、福島では「避難所などへの移動中の肉体、精神的疲労」が約30%に上り、他の2県の3%を大きく上回った。
インフルエンザの流行などが関連死を誘発した阪神・淡路大震災とは様相が異なり、「原発事故関連死」という言葉も使われる。
しかし、当初、自治体は問題の重大さを理解していなかった。
原発事故で福島県川俣町から福島市に避難した嘱託社員渡辺彦巳(ひこみ)(61)は、震災の年の夏、4月に急逝した父義亥(よしい)=当時(87)=の災害弔慰金支給について町に相談した際、職員から思わぬ言葉を返された。
「家が倒れて圧死したような場合なら認められるが」。関連死は念頭にないようだった。
国は5月、弔慰金制度を原発事故の関連死にも適用する方針を示していた。だが、町は通知を放置した。町が対応の遅れを認め、弔慰金の支給を決めたのは、相談から2年後のことだ。
「福島を教訓に、国は新しい制度や基準を考えるべきではないか」
父に続き、2年後に母も失った渡辺は言う。弔慰金制度は自然災害を想定して立法化され、専門家からも原発事故への適用に無理がある、との指摘が出る。渡辺も、母は関連死とされず、制度への疑問がぬぐえない。
原発事故による関連死とは何なのか。答えを求め、東電に賠償を求める訴訟も相次ぐ。遺族の問いは今なお続いている。
=敬称略=
(磯辺康子)
2014/9/22