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地図を見ながら、震災当時を思い返す杉本勝義さん=神戸市長田区御蔵通3(撮影・風斗雅博)
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地図を見ながら、震災当時を思い返す杉本勝義さん=神戸市長田区御蔵通3(撮影・風斗雅博)

地図を見ながら、震災当時を思い返す杉本勝義さん=神戸市長田区御蔵通3(撮影・風斗雅博)

地図を見ながら、震災当時を思い返す杉本勝義さん=神戸市長田区御蔵通3(撮影・風斗雅博)

【喫茶店 変わらない下町の「心」】

 焼け跡に立つ少年は、どこでどうしているのだろう。写真を手に、1軒の喫茶店に入った。

 神戸市長田区御蔵通3の「クォーレ」。マスターの杉本勝義さん(63)がじっと見詰めた。

 「この子ねえ…。見たことないねえ。何しろあの時はみんな、必死やったから」

 常連客の男性らも集まり、「あの散髪屋なら分かるんと違うか」「いや、あの店なら」。阪神・淡路大震災当時の話になった。

 杉本さんはパン店を経営していた。自宅兼工場は激震に耐えた。妻、6歳と1歳の娘、菅原市場に住む両親は近くの御蔵小学校に避難した。

 両親を迎えに行く途中、東で火事が起こっているのが見えた。その炎が自宅に迫る。消防隊員が小学校の脇で、ホースを手にしたまま動かない。「水、はよ掛けんかい」。誰かが叫んだが、水は出ない。

 「火は躍る、いうかね。あちこちでドーン、ドーンと爆発音がして。ついに燃え移った」

 涙は出なかった。自宅が焼けていくのを、ただ、黙って見詰めることしかできなかった。ほかの避難者も、じっと燃えさかる町に視線を注いだ。

 パン作りの機械は丸焼け。リース代だけが残った。自宅跡で仮設の喫茶店を営み、区画整理により現在の場所に喫茶店と自宅を再建したのは5年後のことだ。初期費用がかさむパン店はあきらめた。

 古い住宅地図に目を落とし、杉本さんは淡々と語った。両親が他界したこと、2人の娘が成人したこと。娘たちに“備え”の大切さを伝えていること…。

 いつしか、日はすっかり暮れていた。

 「震災前からのなじみのお客さんに支えられてる。町は変わっても、変わらないものがあるんや」

 「クォーレ」。イタリア語で「心」を意味する店名は、震災前のまま、変わっていない。(上田勇紀)

2015/1/9
 

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