【 いのうえ(神戸市長田区)ウエディングサロン経営 井上芳昌さん(67)】
「何もかも無くなったけど、震災なんかに負けたくない」。1995年1月、井上芳昌=当時(47)=は、がれきの街で歯を食いしばった。JR新長田駅南で戦後すぐから営んできた家業の寝具卸・貸衣装店は全壊。商品のほとんどが使い物にならなくなっていた。
それから1カ月ほど、倒壊の危険のある事務所にブルーシートを張り、伝票整理をしながら再起を模索した。取引先は須磨や垂水など神戸市西部が中心で、かねて都心への進出を考えていた。「やるならゼロになった今だ」と決断した。
1億円超を借り入れ、半年後の6月、元町商店街の一等地で再開した。震災の傷痕が生々しい時期だ。「婚礼需要があるのか」。店を開けたものの、不安は尽きなかった。
そんな折、一人の男性客が来店した。住まいは半壊。親戚は大けがを負い、友人は亡くなったという。「招待した人に震災を少しでも忘れてもらえたら。花嫁も見る人も幸せになれるドレスを選んでほしい」。率直な言葉が続いた。
井上は折に触れて男性のことを思い起こす。「金もうけだけやない。貸衣装でみんなに幸せになってもらうことが僕らの使命」
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阪神・淡路大震災は地域に根差す中小企業にひときわ大きなダメージを与えた。廃業か、再開か。再開しても先行きは厳しい。経営者の底力が問われた。当時の中小企業白書は「あくなき情熱とバイタリティーで新たな可能性の開拓に向けてチャレンジしていくことが今ほど必要とされる時はない」と結んだ。
昨年暮れ、県中小企業家同友会が会員企業に震災がどう経営に生きたかを尋ねた。「地域との関わり」「第二創業の契機」「ネットワーク拡大」-。経営革新を目指した経営者の踏ん張りが浮かんだ。
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再起をかけた井上の元町本店は、装飾にこだわり、貸衣装店のイメージを一新した。流行し始めていたレストランウエディングに注力した。海外で買い付けたドレスをそろえ、ホテルなどとの取引も始まった。
数年後には寝具卸をやめ、ウエディング一本に絞る。2011年にはJR大阪駅前にも店舗を設け、ウエディングの売上高は震災前の4倍に膨らんだ。
近年は神戸に新規の式場が相次ぎ、競合が激化。式を挙げない人も増え、苦戦が続く。
元町本店は開店20年。震災を知らない社員も増えた。「事業を再構築するときだ。神戸という都市のブランドを生かし、新たなスタートを切る年にしたい」。井上の決意だ。
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17日で大震災から丸20年。被災を乗り越えた経営者たちの軌跡を追う。=敬称略=
(土井秀人)
▽いのうえ 1949年、神戸市長田区で創業。68年、法人化。86年、井上芳昌が2代目社長に就任。2002年、現社名に変更。従業員約60人。年商は非公表。JR大阪駅構内でショーを開くなど業界振興に力を入れる。
2015/1/13