【ナカイ(神戸市中央区)タイヤ製造機械設計・製作 中井義一さん(72)、健一朗さん(40)】
東日本大震災が起きた2011年3月11日の夜。タイヤ製造機械の設計・製作を行うナカイ(神戸市中央区)は、救援物資を積み込んだトラックを福島県白河市に向けて出発させた。
行き先は半世紀以上取引のある住友ゴム工業(同)の白河工場。ナカイは構内に拠点を構える協力会社だ。「阪神・淡路に続き、2度も被災するとは…」。社長中井健一朗(40)は会長で父の義一(よしかず)(72)とともに嘆息した。
幸い自社の被害は軽微だった。発生1週間後には原発事故の不安がある中、住友ゴムの設備復旧のために社員約10人を派遣した。「資本関係はなくても、住友ゴムが親で私たちが子どもというつながり。何とかしたい」。ものづくりを支えてきた自負がにじんだ。
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住友ゴム工業の前身は、1909(明治42)年に英ダンロップ社が神戸に開設した日本支店だ。日本初の近代的ゴム工場として発展し、60年に住友グループが資本参加した。神戸工場は神戸の重厚長大産業を代表する基幹工場だったが、大震災でシンボルだった煙突が真っ二つに折れるなど甚大な打撃を受けた。被害額は約200億円。工場は閉鎖となり、生産機能は白河や名古屋の工場へ移管された。
被災地では川崎製鉄(現JFEホールディングス)、日本製粉など大手の工場閉鎖・縮小が相次いだ。裾野に広がる中小企業群は苦境に陥った。日銀神戸支店は20年の歩みを踏まえ、「かつてのように高付加価値製品で高収益を計上する体制でなくなった」と、兵庫のものづくり産業の質的変貌を指摘した。
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義一らが率いていたナカイも、倒壊こそ免れたものの、設備の被害で復旧などに2千万円超が掛かった。バブル崩壊で経営が苦しかった時期。震災の2年前には希望退職を募っていた。
しかし、自社で設計部門を持ち、経験と技術を蓄積してきたことで踏ん張ることができた。「難しく、付加価値のある機械こそわれわれの得意分野だ。神戸工場だけでなく、世界にある住友ゴムの工場に納入できた」
2000年以降、住友ゴムがインドネシアなど海外展開を加速すると、新工場に相次いでナカイの機械が導入された。
社長の健一朗は言う。「バブル崩壊、震災、リーマン・ショック…。数々の苦難を乗り越えられたのは、脇目も振らず本業に打ち込んできたからこそ。これからも技術を磨き、100年企業を目指したい」=敬称略=
(土井秀人)
▽ナカイ 1950年創業。60年中井工作所設立。91年の株式会社化とともに現社名に。神戸市、福島県白河市に工場を構える。取引先はメーンの住友ゴム工業のほか、バンドー化学など。従業員約90人。売上高は非公表。
2015/1/16