【エミヤ(神戸市灘区)紳士服店、不動産事業 江見義麿さん(73)、真也さん(42)】
2007年暮れ、神戸市灘区の水道筋商店街に9階建ての本社ビルが完成した。阪神・淡路大震災で5階建ての旧社屋が半壊してから12年。「自社ビル再建、という夢が震災後の自分を支えてくれた」。江見義麿(よしまろ)(73)は感慨深く見上げた。
大正時代から続く老舗紳士服店は、オーダーメード専門店「ゑみや洋服店」として再スタートした。スーツにこだわりのある働き盛りの世代に、既製品にはない一着を仕立てる。顧客層を絞ったことで事業規模は縮小したが、「他店では買えない」と全国から客が訪れる。
ビルの再建を機に社長職を譲った長男真也(42)の発案だった。この2年で売り上げが伸びだし、「ようやく芽が出てきた」と江見。父の自社ビル再建と息子の新たな挑戦。親子は両輪で紳士服店のDNAをつないだ。
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地域に根差した生業をどう維持するか。震災後、店舗や工場が壊れた被災地の自営業者らは苦しんだ。再開できたとしても人口減、大型店との競合、景気低迷…。厳しさは相当なものだった。
災害救助法が適用された県内12市の商店街・市場の店舗数は、震災前から約1万店減少(38・4%減)。江見が店を構える神戸市灘区は43%減った。
「従業員の生活も、取引先への支払いもある。とにかく商売を続けなければ」。社屋は6度傾き、水道管が破裂。商品は水浸しだった。店にはジャンパーやセーターを買い求める被災者らが殺到し、無我夢中で店と大阪の現金問屋を往復した。
混乱が落ち着くとともに、先行きへの不安が強まっていった。「洋服屋は過去のもうかる商売。国産の良い品でも既製品は厳しい」。大手量販店の中国製の格安スーツが普及する時代だ。スーツを着ないサラリーマンも増えている…。
経営安定の方策として活路を見いだしたのが、不動産業だった。震災前から自社ビル内で賃貸マンションを管理していた経験を生かした。尼崎市内の古い社宅を購入し、賃貸マンションに改装。家賃収入で洋服店経営を支える構造を軌道に乗せた。
そのおかげで、震災前から計画していた自社ビル再建が実現した。江見は将来を見据え、不動産業に絞るつもりだったが、真也の説得に折れた。
「洋服屋が厳しいことに変わりはない。常に10年先を見る。経営の安定があってこそ、新たな挑戦ができる」。今は温かなまなざしで息子の商いを見守る。
=敬称略=
(石沢菜々子)
=おわり=
▽エミヤ 1922(大正11)年創業。神戸市灘区で紳士服店を営む。現在はオーダーメード専門店「ゑみや洋服店」。自社ビルと尼崎で賃貸マンションを経営。社員3人。江見義麿会長、真也社長。売上高6千万円。
2015/1/18