【ジィ・アンド・ジィ(神戸市中央区)システム開発、旅行代理業 椿野正治さん(64)、竹中睦芳さん(58)】
「いよいよ来たか」。1997年春、家電量販の星電社(神戸市中央区)のシステム開発部門トップの椿野正治(しょうじ)=当時(46)、リーダー竹中睦芳(むつよし)=同(40)=は覚悟を決めた。
阪神・淡路大震災で本店が全壊して2年。経営再建の一環で社員の出向を進めており、同部門全21人も傘下のジィ・アンド・ジィ(G&G)に移すことを通告されたのだ。
星電社は高度成長期に全国展開し、かつては家電売上高日本一になった老舗だ。存在感は大きい。椿野は社長に訴えた。「出向すれば慣れ親しんだ看板が使えなくなる。ならば独立させてほしい」
99年、社員でG&Gの全株式1千万円を買い取り、椿野が社長に就いた。大きな船を離れ、「手こぎボートでの出発」(竹中)だった。経営方針には「企業の存続」を掲げた。「戻るところはもうない。絶対に会社はつぶさない」。2人の切実な願いだった。
□ □
震災は地域経済に暗い影を落とした。関連倒産は発生から3年間で314件。工場閉鎖も相次ぎ、震災による失業が問題になった。
星電社も復旧などで約100億円を借り入れ、その重荷が経営を圧迫。90年代後半、コジマ(宇都宮市)など関東勢の攻勢が激化し、2002年、民事再生法申請に至った。
独立したG&Gも、順風とは到底言えなかった。中小企業向けのソフトウエア開発などを行っていたが、社員の意識は「大手のまま」(椿野)で業績は振るわない。独立から1年後の00年に非常事態宣言を出した。成果主義を導入するなど「とにかく夢中で突っ走った」と竹中。
その後、業容が拡大して中途採用が増えると、社内の統制が取りにくくなった。方針やルールが統一できず、品質が悪化。取引先とのトラブルも起きた。
この時、2人の頭に浮かんだのが古巣の星電社だった。「正しい商人道に精進する」などの理念があり、教育に力を入れていた。「星電で当たり前だったことが、G&Gには必要だった」。06年、社員が同じ方向を向くため新たな経営理念を制定。人材育成に力を入れ、その後、新卒採用も始めた。
11年には竹中が社長となり、椿野は会長に就いた。震災から20年。曲折の道のりだったが、一度も営業赤字は出していない。「心掛けたのは、今を生きること。着実に一歩一歩を歩んだ先に、未来がある」。2人は顔を見合わせてうなずいた。
=敬称略=
(土井秀人)
▽ジィ・アンド・ジィ 1978年、星電社の完全子会社として設立。99年、システム開発業と旅行代理業の両部門34人で独立した。現在の従業員は約50人。2014年3月期の売上高は23億2800万円。
2015/1/17