連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷
パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之) 優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場
拡大

パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之)

優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場

  • パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之)
  • 優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場

パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之) 優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場

パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之)

優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場

  • パ・リーグを連覇した1996年当時の記念品を手にするソフトバンクの佐藤義則投手コーチ=神戸市中央区、神戸新聞社(撮影・辰巳直之)
  • 優勝を決めた西武戦で胴上げされるオリックスの佐藤義則=1995年9月19日、西武球場

【プロ野球・ソフトバンク投手コーチ 佐藤義則さん 無安打無得点試合で優勝に貢献】

 がらがらのはずのグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)に3万人がいた。

 1995年4月1日。阪神・淡路大震災から約2カ月半がたっても、神戸の街にはまだ多くのがれきが残り、市民の避難所生活も続いていた。

 そんな中で行われたパ・リーグ開幕戦。オリックスの先発を任された40歳の佐藤義則は、スタンドの盛況ぶりに驚いた。生活再建もこれからなのに観戦に来て大丈夫なのか。仕事を失って「家にいても仕方がない」と来てくれたのか。いろいろ思った。そして奮い立った。その後の優勝以上の感動だった。7回2失点で勝利に貢献した。

 選手も被災者だった。主力打者だった高橋智らの自宅は全、半壊。球団事務の女性が一時行方不明という話も聞いた。2月のキャンプは自主参加。家族を実家に帰すなどしてなんとか全員が集まったが、地震の恐怖や家族の心配で練習の集中力は通常の3割程度しかなかった。

 だから、当時よく聞かれた「神戸のため」という言葉より、ユニホームに着けたワッペン「がんばろうKOBE」の方がしっくりきた。同じ被災者として一緒に頑張ろう。4月でも神戸では1試合平均約1万9千人が観戦し、復旧が進むにつれてさらに増えた。被災しても球場に来てくれるファンに、選手は一瞬でも震災を忘れて喜んでほしいと「勝つ」ことに集中した。

 序盤こそ準備不足が響いて苦しんだが、日替わりヒーローが現れた。脚を痛めて一時離脱した佐藤も8月26日、40歳11カ月のプロ野球最年長(当時)で無安打無得点試合を達成する。酷暑のナイター。とても記録をつくれるとは思えなかったが、132球を投げ抜き、最後は独自の変化球「ヨシボール」で空振り三振を奪った。

     ◇

 16年後、仙台で神戸と同じ光景に直面した。

 4月29日、東日本大震災から1カ月余りで迎えた楽天の本拠地・日本製紙クリネックススタジアム宮城(現楽天Koboスタジアム宮城)の初戦は観客約2万人。当時楽天の投手コーチだった佐藤は再び奮い立った。

 開幕前のチームの決起集会。出番の少なかった選手が活躍したことなど、95年の経験を語った。慰問した避難所でもオリックスの話をして励ましたが、それ以上に喜んでもらうには神戸のときと同じく「勝つ」しかないと思っていた。

 その年は悔しい5位だったが、震災3年目に悲願の日本一。コーチとして24連勝のエース田中将大(現ヤンキース)ら投手陣を支え、責任を果たした安堵(あんど)があった。

     ◇

 佐藤はもう一つの被災地とつながりを持つ。

 93年7月の北海道南西沖地震で壊滅的な被害を受けた奥尻島は故郷だ。津波で伯母を亡くした。

 地震から数日後にオールスター戦が予定され、出場が決まっていた。テレビ中継がある。イカ釣り船の無線やラジオにかじりつく家族や島民たちが目に浮かんだ。グリーンスタジアム神戸の第2戦、打者9人から4三振を奪う。このときばかりは「勝つ」は度外視。ただ故郷の人に見てほしかった。

 過去の大地震について、本音はあまり話したくない。つらい記憶を思い出すからだ。ただこの経験がマイナスとも思っていない。今、奥尻島は観光客の減少に苦しむ。故郷のために何かできないか。佐藤の強い思いだ。=敬称略=

(伊丹昭史)=おわり=

 ▽さとう・よしのり 北海道出身。投手として日大から1977年に阪急(現オリックス)に入団して新人王に輝き、85年に最多勝。98年限りで引退した後は投手コーチとして阪神や日本ハムなど4球団で手腕を発揮した。今季からソフトバンクの投手コーチ。60歳。ソフトバンク投手コーチ 佐藤 義則さん  95年 その時オリックス投手無安打無得点試合で優勝に貢献

2015/1/22
 

天気(9月7日)

  • 34℃
  • 27℃
  • 20%

  • 36℃
  • 24℃
  • 40%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

  • 35℃
  • 25℃
  • 30%

お知らせ