旦旦的二十年
阪神・淡路大震災の傷跡が残る神戸の街に、パンダがやって来たのは2000年のことだった。中国に帰ることになったタンタン。20年間の紙面と写真からその歩みを振り返る。
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2010年9月にコウコウを失って以来、独りぼっちになったタンタンに、うれしいニュースが舞い込んだ。

2010年9月9日、悲劇が起きた。雄のパンダ・コウコウが死んでしまったのだ。

2009年5月の神戸新聞に、違和感を覚える写真があった。普段は行列が絶えないパンダ舎周辺に、

2008年は、タンタンにとっても、中国のパンダたちにとっても、苦難の年となった。

2007年、タンタンは人工授精5年目で初めて妊娠した。食事量が減り、頻繁に横になるなど兆候が

2006年8月28日の朝刊に「動物園で親子キャンプ」の記事を見つけた。県内各地から小学生と保

2005年度、王子動物園は「動物サポーター制度」を始めた。企業・団体から寄付を募り、法人名を

あまりのおいしさに、タンタンも目を白黒させていた!?当然、そんなわけではありません。

二代目コウコウとタンタンは5月に人工授精を実施して、妊娠、出産を目指していた。

パンダ番記者Kの雄雌「誤報」記事から1年、動物園は大変なことになっていた。

来日から9カ月、初の「発情期」を迎えたはずのタンタン(メス)とコウコウ(オス)だが、繁殖は成功しなかった。

阪神・淡路大震災の傷跡が残る神戸の街に、パンダがやって来たのは2000年のことだった。