■とっさに水路に隠れた
加古川に育まれた平野が広がる兵庫県加東市家原。下滝野から川を隔てて約1・6キロの田園地帯も、米軍機に襲われた。7月に掲載した連載第1部を読んだ門脇紀夫さん(81)は北播総局に連絡し、記者に生々しい空襲体験を語ってくれた。
◆
門脇さんは当時5歳。幼い弟と一緒に、社地区の散髪屋から家に向かっていた。坂を下り、現加東市民病院の周辺を歩いていたときだった。
飛行機の音がした。南東の方角を見ると、黒い影が飛来していた。最初は「味方(日本軍)の零戦かな」と思った。だが、こちらに向かって急降下してくる。敵だ。
とっさに、道路脇の水路に2人で身を隠した。その直後、「バリバリバリ」という音と共に、機銃が着弾した砂ぼこりが舞った。高度は家の屋根より少し高いくらい。米軍パイロットの顔が見えた。
日にちは判然としない。だが、この米軍機は旋回し、北西の下滝野方面に飛び去ったという。この体験が、1945年7月24日だった可能性もある。門脇さんは言う。「5歳の記憶なのに、隠れた場所も何もかも覚えている。それだけの恐怖だったんでしょう」
◆
数多くの証言を基に、あらためて郷土資料を探す。滝野町老人クラブ連合会が出版した手記集「滝野つたえぐさ」には、下滝野空襲の記述が確認できたが、断片的な体験談だった。同市に関連する他の書籍を見回しても、下滝野空襲の経緯や被害を明記した資料はなかった。76年の間、空襲の本格的な調査は行われていなかったらしい。
学校現場でも同様だ。加東市教育委員会をはじめ、滝野町域の滝野東小と滝野南小に取材した。
だが、いずれも「下滝野で空襲があったことすら知らなかった」との返答だった。当然、地域の空襲記録を子どもたちに継承する機会はない。
2人が亡くなった空襲は、忘れ去られてしまっているのだろうか。他地域での事例を探ると、同県三田市のある小学校の取り組みにたどり着いた。
76年前の7月、都市部から離れた三田でも、児童4人を含む5人が死亡した空襲があった。児童が通っていた三輪小(同市三輪)では、地域の空襲を学ぶ授業を毎年行っているという。
継承のヒントを探るため、記者は三田市に向かった。(杉山雅崇)
■知られざる空襲・第2部(3)鮮烈な記憶 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
■知られざる空襲・第2部(2)たんすの傷跡 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
■知られざる空襲・第2部(1)体験者の証言 昭和20年7月24日【加東・下滝野】

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