兵庫県が国内有数の天文王国だと知る人は少ない。日本公開天文台協会に加盟する県内の施設会員は14で都道府県別で最多だ。中でも兵庫県立大・西はりま天文台(兵庫県佐用町)は公開用望遠鏡として世界最大級のなゆた望遠鏡(口径2メートル)を備える。一方、日本プラネタリウム協議会加盟の施設数は5。日本標準時の地・明石にある市立天文科学館には現役で稼働する日本最古のプラネタリウムがある。こうした天文の文化を支えてきたのが、時間と宇宙のロマンを発信してきた同館の前史を含む140年にわたる歴史だ。

開館直前の天文科学館。寺社が建ち並ぶ風景に新風を吹き込んだ=昭和35(1960)年5月、明石市人丸町

建設中の天文科学館。足場に囲まれた展望塔がそびえる=昭和35(1960)年2月1日、明石市人丸町(同館提供)

月照寺前に立てられた子午線標識。頂上に日本(あきつ島)を表すトンボ(あきつ)のモニュメントが乗る=昭和5(1930)年、明石市人丸町(明石市立天文科学館提供)

 東経135度の子午線が走る人丸山にそびえる天文科学館。高さ54メートルの塔屋に青と白の大時計があり、すぐ下にはJSTMの文字。ジャパン・スタンダード・タイム・メリディアン(日本標準時子午線)の頭文字だ。目に見えない子午線の存在を広く市民に示すランドマークだ。

開館を前に初めて全館点灯した明石市立天文科学館。夜空に照明が映えた=昭和35(1960)年5月26日、明石市人丸町

建設中の明石市立天文科学館=昭和35(1960)年4月26日、明石市人丸町

明石市立天文科学館の開館式で館内に入る丸尾儀兵衛市長(当時)とミス明石。下は子午線マーク=昭和35(1960)年6月8日、明石市人丸町

 北極と南極を結ぶ子午線。1884年に米ワシントンで開催された国際子午線会議で英グリニッジ天文台を通る子午線が世界の経度と時刻の基準である本初子午線に定められた。経度が15度隔たるごとに1時間ずつの時差を持つ時刻を各国が使用することが決議された。86年、東経135度の子午線の時刻が日本標準時として制定され、88年1月1日午前0時0分に施行された。

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明石市立天文科学館の開館式でテープを切る丸尾儀兵衛市長(当時)=昭和35(1960)年6月8日、明石市人丸町

星空を映し出す明石市立天文科学館のプラネタリウム投影機。開館以来稼働し続ける=昭和35(1960)年5月、明石市人丸町

 「時のまち・明石」の始まりだ。1910年、子午線通過地点に標識を建設。その後、地図の改定で位置がずれたため、28年と51年の天体観測で正確な子午線位置が決まった。「1世紀以上にわたって子午線を大事にしてきた明石の先人たちの功績が大きい」と館長の井上毅は言う。50年代、国立天文博物館をつくる構想が生まれ、国に陳情したが、実らなかった。

直径20メートルのドーム内にある明石市立天文科学館のプラネタリウム=昭和35(1960)年7月、明石市人丸町

明石市立天文科学館が開いた「星を見る会」。200人の子どもたちが参加し望遠鏡をのぞいて宇宙に夢を広げた=昭和39(1964)年8月11日、同市人丸町

建設中の明石市立天文科学館。プラネタリウムの鉄骨ドームが組み上がりつつある=昭和34(1959)年11月27日(同館提供)

 火星大接近、国際地球観測年、人工衛星スプートニク号打ち上げなどで宇宙に関心が高まる中、明石市は市立天文科学館の建設を決めた。プラネタリウムの投影機はカール・ツァイス・イエナ社製でドイツ人技師2人が2カ月をかけて組み立てた。「当時、ツァイス製の大型プラネタリウムは大阪と東京のみ。明石が立派な施設を造り、世界最高性能の名機を導入したのは画期的で英断だった」(井上館長)。60年の開館以降、アポロ11号月面着陸、ハレー彗星(すいせい)の地球再接近など折々に宇宙ブームの受け皿になり、人気を博した。

明石市立天文科学館周辺=昭和54(1979)年12月24日、明石市天文町上空から

手前右は昭和26年の測量で移設された東経135度の子午線標識。1960年開館した天文科学館の展望塔(奥)も子午線標識=令和3(2021)年11月、明石市人丸町

明石市相生町(当時)に最初に建てられた二つの子午線標識のうちの一つ。現在は東北の明石警察署大蔵交番脇に移設されている=昭和3(1928)年(明石市立天文科学館提供)

子午線標識を正確な位置に立てるため明石中(現・明石高)で天体観測を実施。2年後、月照寺前に標識を立てた=昭和3(1928)年、明石市荷山町(明石市立天文科学館提供)

 一方、西はりま天文台の夢も壮大だ。「本物の宇宙を、本物の研究者が、本物の機器を通して、市民とともに活動する公開天文台」(元公園長・黒田武彦)。90年、佐用町の大撫山(おおなでさん)(標高436メートル)山頂に西はりま天文台公園が誕生した。2001年のしし座流星群の出現時には深夜から夜明けまで千人の入園者が訪れた。

阪神・淡路大震災発生の午前5時46分を指したまま停止した明石市立天文科学館の大時計=平成7(1995)年2月15日

明石市立天文科学館の直径20メートルのドーム内にあるプラネタリウム。投影機はカール・ツァイス・イエナ社製で現役では国内最古。開館以来稼働し続ける=平成25(2013)年10月

西はりま天文台が誇る国内最大級の口径2千ミリ反射望遠鏡「なゆた」と伊藤洋一センター長=兵庫県佐用町西河内

 04年には最先端の「なゆた」望遠鏡が導入された。同年には同公園に兵庫県立大自然・環境科学研究所宇宙天文系が設置された。現在、天文台は同研究所天文科学センターが所管する。「明石や神戸などでプラネタリウムを見て宇宙に興味を持ってもらったら、西はりま天文台に来て本物を体感してほしい」。同大教授でセンター長の伊藤洋一は話す。

県立西はりま天文台と星空=平成10(1998)年7月17日、佐用町西河内

大出現したしし座流星群。夜空が暗く視界が広い西はりま天文台は観測にうってつけ=平成13(2001)年11月19日午前2時40分ごろ、兵庫県佐用町西河内、約10分間露光

 宇宙を観察してきた天文施設群。大みそかの深夜、明石市の人丸山上には大勢の人が集まる。天文科学館の下にはトンボを載せた子午線標識。カウントダウンの後に新しい年が始まると、夜空と海を背景に明石海峡大橋のつり橋が鮮やかな光をきらめかせる。悠久の宇宙と時間の中、点景として人々の心に刻まれる。(敬称略)

(特別編集委員・加藤正文)

当時国内最大の望遠鏡「なゆた」を納めた新天文台が完成。右奥は1990年オープンの西はりま天文台=平成16(2004)年11月5日、兵庫県佐用町西河内

平成14(2002)年にオープンした猪名川天文台(アストロピア)周辺の夜空。大阪空港を発着する飛行機の光跡が伸びる=平成27(2015)年10月、猪名川町柏原の大野山上

西はりま天文台公園がオープン。完成式典でテープカットする関係者=平成2(1990)年4月22日、佐用町西河内