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球場につめかけたオリックスのファン
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球場につめかけたオリックスのファン

プロ野球オリックス・バファローズが激しいリーグ優勝争いを繰り広げている。

オリックスといえば、かつては神戸市に本拠地を構えたブルーウェーブ、さらには西宮市の阪急ブレーブスにルーツを持つ兵庫ゆかりの球団だ。兵庫県紙の記者として、またオリックスファンの一人として、今こそ皆さんの思いを聞きたく、京セラドーム大阪に足を運んだ。

イチロー選手の優勝サヨナラヒットを現地で見た人、西宮球場で福本豊選手を「出待ち」していた人、阪急時代から70年来のファン…。優勝を待ち望む人たちに深く、熱い思いを聞いた。

◇斉藤興一郎さん(82)=奈良市=は、阪急ブレーブス時代からという70年来のオールドファン。低迷期、観客が300人しかいない西宮球場に通い詰めた。好きだった選手を聞くと、1940~50年代に活躍した天保義夫投手の名前を挙げてくれた。「足を大きく上げる投球フォームがかっこよくてねぇ」。67年のリーグ優勝の瞬間は西京極球場のスタンドで見届けたという。翌年に子どもが生まれ、「ブレーブス(勇者)が2度目に優勝した年に生まれたから」という理由で「勇二」と名付けた。

続く阪急の黄金期、突然の身売り、さらにブルーウェーブになり、近鉄と合併--という全ての歴史を見つめてきた。「名前は変わっても同じ球団だから。ずっと大好きです」。今でも足しげく休場に通い、行けない時も午後6時のプレイボールに合わせてテレビをつける。「阪急とオリックスは僕の人生そのものやね」。今日もビールを片手に内野席から熱い視線を送る。

◇会社員の松本喬さん(43)=滋賀県草津市=は、阪急ブレーブスの終盤から応援し始めた。荒々しいパフォーマンスで知られるアニマル・レスリー投手がきっかけだ。印象的だったのはオリックス・ブレーブス時代のブーマー、門田博光、石嶺和彦らの「ブルーサンダー打線」。破壊力のある打線に酔いしれた。

今でも本拠地開催のほぼ毎試合、草津から交通費2000円をかけて年間50試合ほど通う。近年は5、6位のシーズンも多かったが、何がそこまで松本さんをかきたてたのか聞くと「弱いからこそ勝った時うれしいでしょ」。オリックスファンが口にしがちなストイックなコメントが返ってきた。「今年は半分夢みたい。このまま常勝チームになってほしい」と期待を寄せた。

◇会社員の南康智さん(31)=西宮市=は父郁夫さん(61)の影響でブルーウェーブを応援し始めた。学校が終わると、郁夫さんにグリーンスタジアム神戸に連れて行ってもらうのがほぼ日課。物心ついた時、チームはすでに低迷期を迎えていたが、人もまばらな外野席で応援し続けた。好きだったのは相川良太選手。力強い打球を飛ばす若武者の姿に心を躍らせた。

当時のスタンドはガラガラで「内野の2階席で1試合5球以上ファウルボールを取ってるおっちゃんがいた」と笑う。2002年からは3年連続最下位だったが「ブルーウェーブは衣食住の一部というか。弱いのになんで応援するのかとかは考えてなかったですね」。合併した時は戸惑いもあったが、球場に足を運ぶにつれて「やっぱりオリックスだな」という気持ちになった。今はカメラを抱えて内野席に足を運び、選手たちの活躍を収める。「こんな時期(シーズン終盤)まで緊張感を持って野球を見ていること自体が幸せ。このまま優勝してほしい」

◇会社員の久保崇志さん(43)=神戸市北区=も阪急ブレーブス時代からのファン。「史上最高のスイッチヒッター」とも言われる松永浩美選手が好きだった。ブルーウェーブになり、1995年の優勝決定戦は西武球場で開かれたため、現地に行けず。当時野球部だった久保さんは監督の部屋に忍び込み、テレビの前でチームメイトと喜びを分かち合った。

翌96年、イチロー選手の優勝を決めるサヨナラヒットは現地で見届けることができた。「もう満席で座る席がなくて立ち見。球場はすごい雰囲気でした」と振り返る。「今年は久しぶりのチャンス。まずは優勝してクライマックス、日本シリーズと行ってほしいです」

特に今年は日本シリーズ6、7戦がほっともっとフィールド神戸(元グリーンスタジアム神戸)で開かれる予定で「神戸で日本一になったらもう最高ですね」

◇姫路市の会社員正信善之さんも、中学生の頃から西宮球場に通い詰めた。球場から出て車に乗り込む福本豊選手や上田利治監督らによくサインをもらった。「福本さんはサインをもらってお礼を言わない子どもがいたら叱っていた」と笑う。また、「福本の通算2000本安打を見届けようと現地に行ったら、落合(ロッテ)の通算150号ホームランを見てしまった」のも思い出だ。

ブルーウェーブになってからも球場に通い続け、特に左の長距離砲D・J(ダグ・ジェニングス)選手のファンだった。D・Jは97年で退団してしまうが、その間際、「よく応援してくれたから」と、球場で帽子にサインを入れてプレゼントしてくれた。今も宝物にしている。

実は正信さんが阪急ファンになったのは父・荘平さんの影響だった。その荘平さんは阪急が身売りしてオリックス・ブレーブスになった後、59歳の若さで亡くなった。「昔とはチーム名も変わっていますけど、父も優勝を待ち望んでいると思います」と話した。

◇「グリーンスタジアムで優勝決定日が近づいた時、リードして9回を迎えると席を立つ人があちこちにいたんですよ」。そう教えてくれたのは、地方公務員の内海貴美子さん(60)、介護士の貴行さん(33)親子=姫路市。ブルーウェーブファンが「翌日発売」のチケットを求めてつくる列の場所取りのためだ。試合終了前から球場外の売り場にファンが殺到し、シートやテントを貼ってそのまま夜を明かした。例に漏れず、内海家も両親が交代でテントに入っていたといい、「ランプとか寝袋とか、キャンプグッズが増えた」と笑う。努力のかいあって96年の日本一の瞬間は現地で見届けることができた。気付けば、この年は50試合近く家族で球場に通っていた。

貴美子さんは高橋功一投手の大ファン。94年、グリーンスタジアム神戸でプロ初勝利を見届けたのがきっかけだった。たまたま近くの席に高橋投手の両親が座っており、試合後に息子のもとへと駆け寄って泣いている姿が印象的だったという。以来、先発試合を福岡ドームまで見に行ったこともあり、内海家4人で協力して「高橋功一」と特大の応援ボードを掲げた。もちろん宛名入りの直筆サインは宝物だ。

貴行さんも、谷佳知選手のユニフォームを着て神戸に応援に行った際、帰りに偶然谷選手の両親から声をかけられて「応援してくれてありがとう」と本人のサイン入り野球カードを貰ったことがある。「不思議な縁があるんですよねえ」

今でもよく家族4人で観戦する内海家。貴行さんは「95、96年の連覇を経験した選手が首脳陣として在籍しているのがうれしい」。貴美子さんも中嶋聡監督の適材適所での人材活用に驚かされるばかりだといい、「新たな伝統を築いていってほしい」と期待を寄せる。

◇お笑いコンビ「タモンズ」からもコメント◇
神戸市出身でブルーウェーブ時代からのファンである吉本興業のお笑いコンビ「タモンズ」もチームへのコメントを寄せてくれた。今もオリックスYouTuberとしてチームの魅力を発信している。

【大波康平さん】
阪神・淡路大震災で家が壊れて街が壊れたのが小6の頃で、その神戸市民の傷を癒やしてくれたのがオリックスでした。球場に行って応援することで元気にしてもらいました。その時以来の優勝がすぐそこまで来てます。あの頃のように元気くれてありがとうございます。接戦で気の抜けない試合が続きますけど必死に応援しますので優勝目指して頑張って下さい。

【安部浩章さん】
オリックスが神戸にやって来て、小学生だった僕に初めて「生」のホームランを見せてくれたのは藤井康雄さんでした。青濤館で張り込んでいたら高嶋徹さんがサインをくれました。試合後、球場の外で遠くからお名前を叫んだら革ジャン姿の馬場敏史さんが手を振ってくれました。本当かどうかわからないけど、パンチ佐藤さんが住んでいるとうわさのマンションを友達と自転車こいで見に行きました。そんな夢中だったオリックスが震災の年に優勝してくれた時、何があっても「生涯オリックス一筋」と心に決めました。でもこんなに待たされるとは思いませんでした。やっと来たチャンス!選手もファンも全員で勝つ!

(まいどなニュース/神戸新聞・小森 有喜)

2021/10/23
 

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