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向こう岸から1分とかからない・甚兵衛渡船場
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向こう岸から1分とかからない・甚兵衛渡船場

縦横に川が流れる大阪では、古くから庶民の足として渡船が運行され、街の発展を支えた痕跡が今も残っている。民間航空の黎明期に栄えた飛行場跡や、第1次大戦時に最新の知識や技術を伝え残していったドイツ軍捕虜の収容所跡など。渡船に乗って、歴史の一端を垣間見る小さな旅をしてみよう。

■橋があってもやっぱり渡船が便利

最盛期の1935(昭和10)年頃には31カ所を数えた渡船場は、道路の整備が進むにつれ数を減らしていったが、今も大阪湾に近い港区・大正区に8航路の渡船が運行されている。

貨物船や遊覧船など比較的大型の船が行き来する川には橋を架けづらく、架けても船の邪魔をしないように橋脚を高くする必要がある。そうなると人が渡るには、渡船の方が利便性が高いのだ。

渡船に乗れるのは人と自転車だけで、乗船料は無料。運行間隔は時間帯によって異なるが、10~30分ごとに1往復している。

■大阪の民間航空は大正区から始まった…木津川渡船場

木津川渡船場は大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目の間238mを結ぶ。2020(令和2)年度の1日平均利用者数は177人と、8航路中2番目に少ない(最も少ないのは船町渡船場の163人)。

1955(昭和30)年頃からは車を運べるフェリー「松丸」(134トン)が就航していたが、約2km離れた上流部に木津川大橋が完成したため、1974(昭和49)年に廃止された。今運行されている船は人と自転車だけを運ぶ「松丸」と「第二松丸」で、その名からわかる通り、かつて活躍したフェリーの名を継承している。

この木津川渡船場がある大正区船町には昭和の初期、旅客機が発着する飛行場があった。1927(昭和2)年に着工し、1929(昭和4)年に未完成のまま大阪初の民間空港として開港した。初めは滑走路がなく、木津川の河口付近で飛行艇が発着していた。東京~大阪~福岡を結ぶ1日1往復の定期旅客便が就航してからは、利用客が年々増え続けて飛行場のキャパシティを超えるほどだったという。

だが、市街地からのアクセスが不便、雨が降ると離着陸が困難になる地盤、近隣にある工場の煙突から出る煙がしばしば発着の支障になるなど、使いづらい飛行場だったようだ。そのため1934(昭和9年)に八尾(現八尾空港)、1939(昭和14)年には伊丹(現大阪国際空港)に飛行場が開設されると、木津川飛行場は役目を終えるように閉鎖された。

現在、飛行場の跡地にあたる大正区船町2丁目一帯には工場が立ち並び、飛行場だった頃の面影はない。

■ドイツ軍の捕虜が「第9」を演奏していたかも?…千本松渡船場

千本松渡船場は、大正区南恩加島1丁目と西成区南津守2丁目の間230mを結び、2020(令和2)年度の1日平均利用者数は885人。

航路のほぼ真上に架かっている千本松大橋は、両端が二層ループ構造という螺旋状のスロープになっている。これを空から見た形から、別名「めがね橋」とも呼ばれる。歩道はあるにはあるが、この螺旋を延々歩いて高さ33mまであがり、橋を渡ったらまた螺旋をぐるぐる回りながら下りると15分ほどかかる。

恩加島側の乗り場から北の方向、道路に沿って5~6分歩くと「平尾亥開(いびらき)公園」という小さな公園がある。第1次世界大戦(1914~1918年/大正3~7年)当時、ここに俘虜(ふりょ)収容所があった。俘虜とは捕虜と同じ意味で、収容所の名称には「俘虜」が使われている。

日本は連合国として参戦し、中国・青島(チンタオ)で捕虜にしたドイツ軍将兵約4500人のうち760人を、ここに収容した。戦争に動員される前は様々な職業についていた捕虜から、当時の日本にない技術を取り入れようという国策もあって、人道的に処遇したという。労役を免除されスポーツや趣味を楽しむことを許されていた捕虜からは、製菓、製パン、ビール醸造、音楽などの技術や文化、知識が伝えられた。

松平健が主演し2006年に公開された映画「バルトの楽園(がくえん)」では、徳島県鳴門市にあった坂東俘虜収容所でベートーヴェンの交響曲第9番がドイツ軍の捕虜によって演奏されたのが、日本における初演であるエピソードが描かれている。平尾亥開公園にある案内板にも、捕虜たちによるオーケストラの写真が掲載されているから、大阪俘虜収容所でも演奏されたのだろうか。大正駅の北にある大正橋には、そのエピソードにちなんでメトロノームを模した縁石が設置されている。

■行列ができるくらい美味しかった大阪のシジミ…甚兵衛渡船場

甚兵衛渡船場は大正区泉尾7丁目と港区福崎1丁目の間94mを結ぶ。2020(令和2)年度の1日平均利用者数は、8航路中で最も多い1022人。高校生の利用が多く、朝の登校時間には2隻でピストン運行している。船頭さんたちは、とにかく遅刻させないように気を遣うそうだ。

ところで、この渡船場だけ「甚兵衛」という人の名がついているのは、江戸時代に甚兵衛という人が尻無川の川下で渡し船を営んでいたことに由来する。その近くにはシジミ汁やハマグリを売る茶店があって「甚兵衛さんの小屋」と呼ばれていた。とくにシジミ汁が美味しいと評判で、それを目当てにたくさんの客が訪れたという。当時は大阪でもシジミやハマグリがよく獲れそうだが、今は工場地帯になっていて、江戸時代の風情はすっかり失われている。

渡船場から少し離れるが、尻無川を2kmほどさかのぼると「岩崎橋公園」という小さな公園がある。江戸時代、幕府の官船を保管する「御船蔵(おふなぐら)」という施設の跡地とされている。ここに収められた船は「川御座船(かわござぶね)」という、朱塗りの屋形に金銅の飾りを施した豪奢な川船だった。

当時、李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団「朝鮮通信使」は、大阪湾から尻無川を上ってきて、ここで川御座船に乗り換えて市中へ向かったといわれている。

通信使が降りている間に船の修理ができる設備も備えた施設だったが、今は説明を簡潔に記した案内板が設置されているだけである。

   ◇   ◇

【アクセス】

▽木津川渡船場

・船町側/大阪市大正区船町1丁目1‐4
大阪メトロ「大正駅」から、大阪シティバス70系統(西船町行き)「中船町」 下車、南へ徒歩約4分

・平林北側/大阪市住之江区平林北1丁目1
大阪メトロ「住之江公園駅」から、大阪シティバス15・15A系統(南港南六丁目行き)「柴谷橋西詰」下車、北へ徒歩約12分

▽千本松渡船場

・南恩加島側/大阪市大正区南恩加島1丁目11-1
①大阪メトロ「大正駅」から、大阪シティバス(鶴町四丁目行き)「大運橋通」下車、東へ徒歩約9分
②大阪シティバス76系統(住之江公園行き)「千本松橋西詰」下車、東へ徒歩約2分
③大阪シティバス94系統(鶴町四丁目行き)「南恩加島東」下車、南東へ徒歩約2分

▽南津守側/大阪市西成区南津守2丁目4-88
①大阪メトロ「なんば駅」から、大阪シティバス29系統(住之江公園行き)「南津守」下車、西へ徒歩約8分
②大阪メトロ「住之江公園駅」から、大阪シティバス76系統(ドーム前千代崎行き)「南津守二丁目」下車、西へ徒歩約5分

▽甚兵衛渡船場

・泉尾側/大阪市大正区泉尾7丁目13-32
大阪メトロ「大正駅」から、大阪シティバス87系統(鶴町四丁目行き)または98系統(大正区役所前行き)「泉尾四丁目」下車、西へ徒歩約5分

・福崎側/大阪市港区福崎1丁目3-50
大阪メトロ)「弁天町駅」から、大阪シティバス51系統(天保山行き)「福崎一丁目」下車、南東へ徒歩約5分

※アクセスの情報は大阪市ホームページより

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

2021/11/7
 

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