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偶然とはいえ見事に「円」の字(にちぎん・2020年夏号より)
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偶然とはいえ見事に「円」の字(にちぎん・2020年夏号より)

日本の通貨である「円」。日本銀行本店の本館を空から見ると、見事に「円」の字になっている。これは設計者の遊び心なのか? はたまた偶然か。

■創建された当時「えん」は「圓」だった

日本銀行は日本の中央銀行として設立された。当初は株式会社であったが、現在は日本銀行法により設立されている認可法人で、東京都中央区日本橋本石町に本店がある。ちなみに正式な読み方は「にっぽんぎんこう」だ。

歴史を感じる本店本館は、明治~大正期に建築学界の第一人者として活躍した天才建築家・辰野金吾による設計で、国指定重要文化財である。

この本館を、真上から見た形が面白い。日本の通貨である「円」の字になっている。

これは狙っているとしか思えないが、真相はどうなのか。日本銀行に取材した。

「日本銀行本店本館は、1896年(明治29)に竣工しました。竣工時の資料が関東大震災の際に焼失しているため、当時の意図を資料で確認することはできませんが、当時の日本銀行券には『圓』の字が表記されていることを踏まえると、本館を意図して「円」の字の形にしたわけではないと思われます。」

「圓」は「円」の旧字体で、意味は同じである。通貨が「円」と表記されるようになったのは戦後のこと。本店本館が「円」の字になっているのは設計者・辰野金吾が意図したことではなく、偶然と思われるとのこと。

■「円」の字型の本館ができるまで

墨田川の下流、旧永代橋のたもとで日本銀行が開業したのは、1882年(明治15)10月のこと。「旧北海道開拓使物産売捌所」がこの年の2月に廃止されており、そのレンガ造り2階建ての建物を、政府から仮店舗として借用した。この建物はイギリス人建築家のジョサイア・コンドルによる設計で、当時、工部大学校(現、東京大学工学部)の学生だった辰野金吾も設計にかかわった。

営業を始めるにあたり、この建物の周囲に木造2階建ての営業場や金庫が増築されたが、あくまで仮店舗なので手狭であった。そのため開業の翌年には、早くも本店移転計画が決定されている。

移転先に選ばれたのが現在の日本橋本石町で、周囲に金融機関が多かったことや、大蔵省(現、財務省)も常磐橋を隔てた大手町にあって近いため、連絡の便が良かったことが理由とされている。

設計を手掛けたのは、前出のとおり辰野金吾で、当時は34歳という若さで工科大学校の教授と臨時建築局工事部長を務めていた。

辰野は設計に取りかかる前、1888年(明治21)8月から14カ月にわたって欧米に出張し、各国の中央銀行を視察。とりわけ詳細に研究したのが、ベルギーやイギリスの中央銀行だったという。

帰国した辰野が描き上げた設計図は、地上3階地下1階、古典主義の石積煉瓦造建築で、日本における初の本格的な国家的近代建築だった。

予算を大幅に超えていたことが問題となったものの、それでも辰野の設計案は採用され、1890年(明治23)9月に着工された。1893年(明治26)の末に完成する予定だったが、1891年(明治24)に起こった濃尾大地震と1894年(明治27)に起こった日清戦争で工事が遅れたため、すべてが完成したのは1896年(明治29)2月だった。

辰野の設計案が採用されたとき80万円と見積もられた総工費は、最終的に112万円に膨れ上がっていた。これが現在の貨幣価値でどれくらいになるか、単純に換算することは難しい。1897年(明治30)頃の米10kgが1円12銭だったというから、それを手掛かりに想像してほしい。

1932年(大正12)9月1日に起こった関東大震災では、建物の一部を損傷したが倒壊を免れている。そして1営業日も休まずに業務を続けたのである。

そんな歴史のある日本銀行本店本館は、ネット予約すれば無料で見学できる。内部には日本銀行の歴史を物語る資料の展示や、重さ25トンもあるアメリカ製の金庫扉などのほか、世界で初めて開発された、お札の真偽・枚数・汚損度を点検する「銀行券自動鑑査機」がある。

「円」の字を中から見てみるのも面白そうだ。

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

2022/7/19
 

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