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(8)廃止論が訴えるもの まちに合った道路とは
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 「もう一度、あの場所を歩いてみよう。全線が開通するその前に」

 七月末、尼崎市内で開かれた「震災復興・関西環境NGOネットワーク」の会合。復興まちづくりの住民運動を支援する同ネットで運営委員を務める傘木宏夫さん(36)は、集まったメンバーらにこう呼び掛けた。

 「あの場所」とは、阪神高速神戸線が六百三十五メートルにわたって倒壊した神戸市東灘区深江本町。一年余り前、「上を向いて歩こう」と題し、都市部の高架道路を問う市民の集いを開いた場所だった。

 「上を向いてももう広い空を見ることはできないが、震災の象徴ともいえる場所を再び歩き、高架道路の是非を問い、今後の沿線まちづくりを探りたい」

 会合に参加した国道43号線訴訟の原告も「公害だけでなく、道路そのもののあり方を広く市民で考える機会に」と言葉を添えた。

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 倒壊、落橋などで十六人が犠牲になった阪神高速。被災地では震災直後から、「再建、復旧は見合わせるべきではないか」という声が強まっていく。

 地元の学識者や文化人らを中心にした「ひょうご創生研究会」は昨年三月、神戸線の廃止と海上、鉄道輸送への転換や地下化などの代替案を示した。行政の内部にさえ、「まちを分断し、景観も悪化させる」と、復旧を疑問視する声が少なくなかった。

 しかし、「復興を急ぐためにも、一日も早い開通を」という強い要請もあって、廃止論はいつの間にかかき消されていく。併せて、まちに見合った道づくりを、という沿線住民の願いもしぼんでいった。

 小学校区が43号線と阪神高速という二階建て道路に分断されてきた西宮・香櫨園地区。地震のあと、歩道橋が復旧工事のために取り外されたのを機に「頭の上を走る高速が二度と崩れないとは言えない。歩道橋ではなく地下道なら災害時の避難路としても役立つ」の声が父母から上がった。

 しかし、費用の問題などから訴えは実らなかった。北と南に二分された校区をつなぐのは結局、以前と同じ歩道橋となる。

 「元通りの復旧が、倒れた原因さえはっきりしないうちに決められた。それが常識だったとされるのはごめん」

 傘木さんらはそう思い、工事が日増しにピッチを上げてもなお、こだわった。昨年九月、全国の学者や都市プランナー、弁護士など約三百人が名を連ねる復旧ストップのアピールにも加わった。しかし、日に日に進む再建の前にして「これじゃあ犬の遠ぼえだ」の思いが募った。

 本音では廃止に傾いていたという沿線自治体の職員も同じ。高速上に姿を見せ始めたドーム状の遮音壁など、一層の圧迫感を与える高架道路に、「失敗だったなあ…」とつぶやきを漏らした。

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 震災からちょうど一年七カ月。前倒し、前倒しで早まってきた全線の復旧は九月末に迫った。

 東灘区深江本町でも、高架道路が建ち上った。一見して、ここが「あの場所」だったとは気づきにくい。しかし、以前よりふた回りは太くなった楕(だ)円のコンクリート橋脚は、他とは異なる外観を見せる。

 「沿線では更地のままの宅地が目立つ。道路だけこんなに急ぐ必要があったのか。知恵を出し合い議論を尽くす余裕はなかったのか」

 一時は無力感さえ感じた傘木さんだが、震災直後の多くの疑問に「答え」がまだ見つかっていないことをあらためて感じる。

 再び開く「上を向いて歩こう」の集いは、同じ九月。高架道路は復活しても、問い掛けは終わらない。

(小本 淳、桜間 裕章、志賀 俊彦、安森  章)

=おわり=

1996/8/17
 

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