自分でもいまだに、うまく説明できない。
あの時、こころはどこか遠くをさまよっていたような気がする。八月中旬の昼下がり、神戸市内に住む春枝さん(56)=仮名=は、自宅でテレビに何気なく目をやった。トルコ地震を伝えるニュースが流れていた。
内職の手が止まり、目が画面にくぎ付けになった。崩れ落ちた建物と、その前で立ち尽くす人たち。自分が画面の中に吸い込まれていくように感じた。
トルコの映像を見ているはずなのに、神戸の町の光景が重なる。神戸の被災者の絶叫が響く。
迫り来る火の手と黒煙。生き埋めになった家族の救出を懇願する声。四年半も前の記憶が、次々によみがえった。そして、こころの奥で、糸が切れた。
とめどなく、涙があふれ出た。気がつけば、布団の上に倒れ、飼い犬を抱いて翌朝まで泣き続けていた。
九月、台湾の地震のニュースに接した春枝さんは、さらに激しく反応した。波打つように倒壊した家屋は、神戸の街並みのように映った。被災者の姿は、あの時の自分たちのように見える。
「周りのものが何も見えないような感覚」。記憶が再び現れ、また、朝まで泣き明かした。
春枝さんは、阪神・淡路大震災で夫を亡くした。夜勤先のビルの一階が押しつぶされ、圧死した。当時住んでいた神戸市長田区の自宅も全壊。自分は、柱や壁のわずかなすき間で命をとりとめた。
五日後、コンクリートの下から夫の遺体が見つかった。顔を見たかったが、運び出した自衛隊員から「見てはいけない」ときつく止められた。毛布にくるまれた遺体に寄り添うことしか、できなかった。
三十五日の法要を済ませた後、長男夫婦と郊外に家を探して移り、やがて「夫の生まれ変わり」と信じる初孫が生まれた。内職も再開し、新しい暮らしの中で、時間は慌ただしく過ぎていった。
ボランティア活動にも走り回る。「息子や娘にいつまでも悲しい顔は見せられないもの」。だが五年目にして思いもかけず、自分のこころの中に潜む傷の深さを知らされた。
今、痛みを共有できるのは、いつも一緒に寝る飼い犬だけ。泣きたくなったら、ぎゅっと抱きしめる。
そして夢の中で、「あなた…」と語りかける。
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時が過ぎれば治まる痛みもある。専門家による「こころのケア」もなされた。だが、震災五年を迎えても、こころの傷に苦しむ人たちの姿がある。生活再建の格差、失業、不況などが重くのしかかり、だれもがなだらかな癒(いや)しの道を歩めるわけではない。さまざまなこころ模様を、被災地にたどった。
1999/10/13