「こころのケアセンター」は、阪神・淡路大震災の心の問題に対処するため開設された。当初から期間は五年間とされ、来年春ですべての活動を終える。
災害時の心の問題がクローズアップされたのも初めてなら、専門機関の開設も、被災地でのケアも、初めての経験だった。
「モデルや計画があったわけではない。しかし、被災者を前に、何もしないわけにはいかない。とにかく対策が求められていた」
センター所長で、震災時は神戸大学医学部精神科の教授だった中井久夫・甲南大学教授が、当初の事情を振り返った。
運営主体は医療機関や福祉、住民団体などでつくる民間団体の県精神保健協会とし、活動費は復興基金から充てる。ケアを担当する職員は公募。県の音頭の下で、急いでかたちが作られた。
神戸市中央区の本部のほか、市内各区と阪神・淡路地域の十五カ所には「地域センター」を置いた。地元の事情に応じたケアに取り組むためだ。
五年目を迎えた今、各地域センターでは「幕引き」に頭を痛めている。
阪神間の復興公営住宅に住む五十代のある女性は、避難所で地元のセンターの女性相談員と出会ってから、今も訪問によるケアを受けている。
避難所でも仮設住宅でも生活への不満を口にし、周囲の人とトラブルを起こした。一方でひどい気分の落ち込みを見せ、復興住宅に移ってからは部屋にこもりがちになった。
そんな彼女が、相談員には「いつでも来てな」と笑顔を見せる。不安定な心に寄り添い続けて四年半以上が過ぎたが、ベテランの相談員はまだ「別れ」を告げられずにいる。
神戸市内のあるセンターでは、今も相談の電話がかかり続ける。九割は何度もかけてくる「リピーター」。直接、相談員に面談を求める人も少なくない。
多くが在宅で精神障害の治療を続ける患者たち。医師や病院のカウンセラーには吐き出せない胸の内を、センターの相談員に聞いてもらいに足を運ぶ。
ほかにも夫の暴力や成人の引きこもり…。児童虐待がにおう場合もある。「どれも震災前から埋もれていた問題。もう震災だけではくくれない」と、スタッフは口をそろえる。
「こころのケアは震災を超えて、ついに地域の一番深いところにある問題にまで踏み込んだ」と、羽下大信・甲南大教授(臨床心理学)は指摘する。
「幕引き」の後、被災地に残る課題は何か。その後が問われている。
(三上喜美男、磯辺康子)
=おわり=
1999/10/20