神戸市内にある高齢者用の災害復興公営住宅。一角にある集会所から、話し声や笑いが漏れる。
住民の交流会。十五人ほどのお年寄りを前に、ボランティアの男性が手品を披露する。「何や。タネが丸見えやんか」。最前列のお年寄りから突っ込みが入り、会場がどっとはじける。
医師が待機する。高齢世帯支援員やボランティアの看護学生が見守る。「こころのケアセンター」のスタッフの姿もあった。
慣れない高層住宅とエレベーター、鉄の扉の暮らし。恒久住宅に移った安心感が、うつ症状の引き金にもなりかねない。神戸市内や阪神、淡路地域に置かれた「こころのケアセンター」では当初から、仮設・復興住宅でこうした住民交流イベントを開いてきた。
「チラシを配ったり、行政やボランティアとの連絡調整に打ち合わせ。マイクを取って会場の盛り上げ役もする」とスタッフ。
主役は入居者だが、”支援する側”の人数が上回る場合も少なくはない。それでも「手を休めるわけにはいかない」。孤立が心の傷を深くするからだ。
この日の交流会にも、日ごろからアルコールの飲み過ぎを心配して声をかけていた一人暮らしの男性が、初めて顔を見せていた。
「こころのケアセンター」のスタッフの顔ぶれはカウンセラー、ソーシャルワーカー、保健婦、看護婦などさまざまだ。大学を出たばかりの人もいる。こうしたスタッフが震災後、被災地に飛び出した。
カウンセリングの基本は「待ち」。相手が自分で悩みを話す気になって、関係が成立する。ところが震災は、そうした姿勢を百八十度転換させた。
ただでさえ「心の問題」への抵抗感は強い。他の機関と協力してイベント開催などを工夫するが、それでも手が届かない人がいる。
スタッフは健康調査などを手掛かりに、個別訪問を始めた。拒絶されることもあるが、「話したいことがあれば、いつでもどうぞ」と呼びかけを続ける。
今年春、神戸市内の復興住宅で、六十代の女性が声を掛けてきた。「実は震災以来、明かりを消すと、怖くて眠れない」という。
その女性は自宅が倒壊し、長時間、生き埋めになった体験を持つ。日ごろは人の世話に熱心だが、「初めて、自分のことを打ち明ける気になった」と話した。
五年目を迎えてようやく開かれた心。「まだ、自分から言い出せない人がいる」。そうした声に耳を澄ませながら、スタッフは被災地を歩く。
1999/10/17