PTSD(心的外傷後ストレス障害)。震災を機に関心が高まった、こころの症状のひとつだ。
何度もよみがえる恐怖体験。音や揺れに激しく反応し、神経が高ぶって眠れなくなる。災害などの後に表れる”こころの後遺症”だが日本ではほとんど知られていなかった。
神戸市内に住む茜さん(41)=仮名=は大学で臨床心理学を学び、被災者の相談に乗る。その彼女でさえ、自分がPTSDだと分かったのは、震災から一年半余りたってからだった。
まず、頭と背中が痛み出した。過労のせいかとも思ったが、それまでの自分を振り返ると、震災以来ほとんど満足に眠っていないことに気付いた。夜中も二時間ごとに目が開く。動悸(どうき)も気になった。「PTSD」。知り合いの精神科医に、そう診断された。
茜さんはマンション自室で震災に遭った。寝ていた体が持ち上がり、揺れで部屋全体が回っていた。
別の部屋で寝ていた小学生の長男と夫の無事を確認した。マンションは、ほとんど損壊していなかった。だが外に出ると、周辺の木造家屋は軒並み倒れ、道路は波打っていた。
夫の職場では、何人もが犠牲になったと知らされた。近くの避難所では、お年寄りたちが毛布にくるまり、寒さに震えている。それなのに、自分はマンションもほぼ無傷で残り、衣類や布団などの寝具もある。
ラジオから、亡くなった学生たちの名前が流れてきた。耐えられなくなって、自分を責め立てた。
「なぜ、自分が助かったの」「代わりに私が死んだらよかったのよ」
その後、「育ての親」と慕っていたおばや知人が相次いで病死した。PTSDは知らないうちに悪化し、高架下さえ電車の響く音が怖くて歩けなくなっていた。
被災者に向かう時は気持ちが「支援」の役割に切り替わり、PTSDは影を潜める。だが自分の暮らしに戻った時、反動が一層大きくのしかかる。
「一人で家にいると、ふっと死にたくなることもある。特に土、日曜や夜」
罪悪感と喪失感が、災害のトラウマを深くする。専門家としてこころの問題をよく知る茜さんは、自分の症状を自覚し、医師の治療を受け続けている。
「睡眠導入剤や抗うつ剤など薬による治療を避けてはだめ。そして、しんどくなれば、信頼できる人に話を聞いてもらうこと」
被災者の傷の痛みを身をもって知る茜さんが自分に言い聞かせる、「こころのマニュアル」だ。
1999/10/14