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(7)月日だけで傷は癒えない 震災後にも新たな試練
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 震災から七年が過ぎ、「十年」が復興の節目として語られる。

 「心の問題は、そんなに型どおりじゃないですよね」

 レインボーハウスの職員細見一雄(29)は、十年を区切りとする社会の空気に、危機感を抱く。

 あしなが育英会の調査で判明した震災遺児は、五百七十三人。震災で受けた心の傷はもちろん、その後もまた厳しい壁が立ちはだかる。

 遺児自身が白血病で亡くなるという出来事があった。震災で生き残った親を病気で失い、孤児になった子供もいる。不況で、親が職を失うケースも増えた。遺児を育てる祖父母は、老いへの不安を常に抱えている。

 心の傷は、ただ月日が過ぎれば癒(い)えるわけではない。

 「遺児のケア」を専門とする拠点は、日本ではレインボーハウスが初めて。国内にモデルはなく、米国・ポートランド市の「ダギーセンター」がお手本になった。身近な人を失った子供たちの心の癒(いや)しに、米国で初めて取り組んだ民間のセンター。二十年前に開設された。

 細見は、大学卒業後、ダギーセンターで一年間の研修を積み、あしなが育英会に就職した。

 篠山市出身。高校二年の時、交通事故で父を亡くした。「遺児」と見られることに抵抗があった。しかし、大学時代、東京にある交通遺児の学生寮に入り、先輩たちに心の内を話すようになった。

 震災の時は、大学三年。東京の街で、震災遺児激励募金に立った。四年生の一年間は、募金活動の事務局長となり、レインボーハウス建設の資金集めに走り回った。「レインボーで仕事をしたい」という思いが膨らんだ。それが、自分の進学を支えてくれた社会へのお返しとも思えた。

 ハウスはいわば、震災遺児の「駆け込み寺」だ。二十四時間、職員が常駐し、遺児はいつでも助けを求めることができる。専門家が行うカウンセリングや治療とは違う。「共に生きる」という理念が、根底にある。

 一方で、細見は、ケアの難しさも実感する。

 この場所は、遺児が百パーセント安心できる場所でなければならない。だが、頼りすぎては、自立を阻む。いずれ出て行く社会は厳しい。子供たちの成長にとって何が大切か・。考えながら、走り続けている。

 ただ一つ、職員には、揺るぎない思いがある。震災の経験が生み出した「心のケア」は、この社会全体に、必要なものだということ。

 あしなが育英会会長の玉井義臣(66)はいう。

 「心の傷というのは、自分で克服していくものだと思われていた。でもその傷を一生背負い続ける人もいる。震災からの七年は、そういう理解を社会に広げる日々でした」(敬称略)

メモ

<あしなが育英会>

 1993年に設立。法人格のない民間団体。69年に設立された交通遺児育英会の奨学生OBらが中心となって、災害、病気それぞれの遺児の奨学金制度をつくり、その2制度を合わせた別団体として発足した。年間の奨学金貸与額は約13億円。財源は募金。

2002/1/19
 

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