玄関ホールの小さなテーブルに、黒いランドセルが乗っかっている。学校から帰ってきて、そのまま外へ飛び出した、というように。
レインボーハウスは震災遺児の「家」。「施設」ではない。だから、玄関では靴を脱ぐ。床はカーペット敷き。子供たちは素足で走り回る。ランドセルの主は、玄関横の階段から、「こんにちはー」と元気よく駆け下りてきた。
仰々しい門扉も、看板もない。やって来る子供が、周囲から特別な目で見られることがないように配慮した造り。地域住民の中にも、ここがレインボーハウスだと知らない人が少なくない。
学校から、直接帰ってくる子がいる。宿題をしに来る子がいる。晩ごはんを食べ、泊まっていく子もいる。ここでは、親がいないことを隠す必要はない。つらければ、思い切り泣いてもいい。
月二回、日曜の午後、小学校低学年の「グループタイム」(心のケアの時間)がある。震災時に生まれた赤ちゃんも、もう小学生だ。
震災も、亡くなった親のことも、鮮明に記憶している年ではない。しかし、胸の奥にたまった何かが、顔をのぞかせる瞬間がある。
十二月のある日は、子供たちが「戦争ごっこ」をしようと提案した。ぬいぐるみで満たされた「おしゃべりの部屋」に、他の部屋からいすや段ボールを次々と持ち込み、二手に分かれて要塞(ようさい)を作り上げた。
「防御、防御!」
「お手玉も武器!」
ぬいぐるみの投げ合いが始まった。思い切り、へとへとになるまで。横顔に、エネルギーがほとばしった。
グループタイムの最後には、「終わりの会」がある。その日の感想などを話し、手をつないで輪になる。一瞬の静寂に感じる人の温(ぬく)もり。手をほどくと、子供はどこかすっきりした顔で、「日常」へと戻っていった。
レインボーハウスには「七つのルール」がある。人をたたかない、人の嫌がることをしない、人のことをよそでは話さない…。
グループタイムの間、守るのはその決まりだけ。職員もボランティアも、決して指示をしない。学校にも家にもない空間。大人の愛情を独占できる時間だ。
「子供には、ケアや癒(いや)しという意識はない。でも、安心感があって、心が満たされる場所。『特別な時間』という感覚はありますね」と、職員の富岡誠(46)。
子供たちが帰路につく時、玄関には必ず職員の姿がある。家を出る時、家族が見送ってくれるように。「いつでもここにいるよ」という笑顔で。そしてまた、みんなが戻ってくる。(敬称略)
メモ
<レインボーハウスの「癒しのゾーン」>
グループタイムに使われるのは、円形のソファがある「おしゃべりの部屋」、サンドバッグなどがあり暴れられる「火山の部屋」「アートの部屋」など6部屋。そのほか、常時利用できる場所に、リビングルームやホールなどがある。