震災遺児の心のケア拠点「レインボーハウス」には、「虹の心塾(にじのこころじゅく)」という名の学生寮が併設されている。
食事付きで月一万円。病気などで親を失った全国の学生が暮らす。現在、三十一人。経済的に苦しい遺児家庭の支援はもちろん、「人づくり」が大きな目的だ。募金活動や月ごとの読書感想文など、塾生が担う課題は多い。そして、震災遺児の「お兄さん、お姉さん」という重要な役割も果たす。
塾生長を務める大学四年の透(23)=福島県出身=は小学二年の時、父親が自殺した。大学生になるまで、父の死を封印するように生きてきた。
大学一年の夏、あしなが育英会の奨学生のつどいで、初めて父の死を人に話した。「ぼくのお父さんは、八歳の時に…」。口に出した途端に、涙があふれ出た。その時、自分が父の死因を知らないことに気づいた。母に電話し、父の死について手紙を書いてほしいと頼んだ。長い手紙を読み、母の深い苦労を知った。
震災遺児との付き合いは、大学一年からだ。二年になり、レインボーハウスが完成すると、迷わず寮に入った。
ここでは、人の心に触れる機会が多い。自分のこと以外で喜んだり、悲しんだりする。震災を知らない自分に、遺児の保護者が「あしながさんがあってよかった」と言ってくれた時は、素直にうれしかった。
自分は人間らしくなった、と思う。入寮していなければ、もっと「要領のいい人生」を歩んでいたかもしれない。
大学四年の千佳(22)=岐阜県出身=も四歳の時、父を自殺で亡くした。
ハウスの完成前、職員に入寮を勧められて、悩んだ。ボランティアとして震災遺児のつどいに参加した時、遺児とうまく話せなかったからだ。しかし、あえて挑戦することにした。読書やスピーチといった寮の課題も、自分を向上させるには必要だと感じた。
震災遺児との付き合いが深まると、本当の妹のようにかわいくなった。「そばにいてあげたい」と思うようになった。休日には、映画を見たり、食事に行ったりする。
レインボーハウスは、文字通り「家」。何があっても、自分を信じて受け入れてくれる場所だと思う。
今は、自分が遺児でよかった、とさえ言える。レインボーハウスに、父が巡り合わせてくれたと思っている。
ブラジル留学を経験し、国際協力機関で働きたいという透は今、大学院進学を目指す。薬学を学ぶ千佳は一月、タイでのボランティア活動へと旅立った。
二人が口をそろえて言ったのは、震災遺児支援の情熱を、後輩に伝えていく難しさだ。多くの先輩が奔走し、実現したレインボーハウス。その思いを、次世代につなぐ模索が続く。(文中仮名)
メモ
<学生寮「虹の心塾」>
レインボーハウスの3・5階部分。定員は48人。下級生は4人部屋、上級生は1人部屋となる。談話室や浴室もある。外部講師を招いた講座、100キロハイクなど、学生の成長を目的としたさまざまなプログラムがある。