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(1)闘う個人商店 もう一度 育った街で
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にぎわい昔 廃業35店中10店

 神戸の下町、長田。国道沿いに「神戸デパート」があった。一九六五年のオープン。以来、周辺の大正筋、六間道などの商店街とともに「西の商都」としてにぎわった。阪神・淡路大震災で全壊の認定を受け、解体。現在、周囲は再開発事業の網がかかる。広さ二〇・一ヘクタール。全国最大級の規模だ。同デパートには、量販店など大型店二店と三十五の個人店舗が入っていた。震災から間もなく八年。個人店舗のうち十店が廃業、二十五店が場所を変え営業を続ける。高齢化、商売の展望、地域の将来。ないまぜになった思いを抱えながら、再開発事業を見詰める商店主たちを追った。(畑野士朗、森本尚樹)

 デパート跡地一帯は新長田駅南地区と呼ばれる。次々と完成する再開発ビルの第一号「アスタくにづか一番館」。山辺康雄さん(52)は、二階の仮設店舗で紳士服店「シドニー」を営む。震災後、JR駅前のピフレ新長田にも出店、今はこちらがメーンだ。

 「アスタ」への本格出店について「長田の風土に育てられた者として商売で恩返ししたい。環境が整えば、店を出したいが…」と言葉を濁した。

 同じく「アスタ」の仮設店舗で室内装飾店「上田ルーム」を経営する澤田洋さん(69)。「売り上げは口に出すのが恥ずかしいぐらい」とため息をついた。

 「再開発ビルには入らないと思う。今は仮設で家賃がいらないが、賃料を払いながらでは到底無理。十年後、新長田が『良くなったなあ』といえるようになってほしい」

 デパート地下にあったそば焼屋「金六」は廃業した。ファンから「あの味が忘れられない」という声が上がった。従業員だった入口茂子さん(60)が、郷里の徳島に帰った店主に相談した。「あんたがやってくれたら」。

 地区から百メートルほど東の丸五市場。入口さんが開いた「いりちゃん」がある。神戸デパートと聞いて「楽しかった。活気があって、みんな仲が良くて」と振り返った。

 「二、三十人ぐらいの行列はしょっちゅうだった。今は常連さんもいるけど、お客さん少ないねえ。貯金も随分使ってしまった」と苦笑い。

 「戻りたいけど、再開発ビルに出店する余裕があるかなあ」

    ◆

 「もうかって、もうかって」。オープンからバブル期ごろまでを、こう振り返る商店主は多い。

 何らかの形で営業を続ける二十五店のうち、ほぼ半数が再開発ビルへの出店を「分からない」とする。ビル内で本格的に営業を再開したのは三店舗だけだ。

 跡地に響くつち音をよそに、商店主たちの闘いは続く。

2003/1/13
 

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