「人間と人間が協力することは難しい」
震災後、解体された神戸デパートの玄関脇にあったプレートに刻まれていた言葉だ。
跡地一帯で進む復興再開発事業。新しく建ったビルは、店舗床を所有する店舗と賃貸のテナント店舗が混在する。互いの利益、思惑を超えて、いかに足並みをそろえるか。そこに成功のカギがある。
神戸デパートは、所有権と運営を分離。官民出資の管理会社が全体をうまく束ねていた。各店舗は会社との契約によって、対等の立場で集った。
「再開発ビルでは各店の調整は難しい。だから去った」とかつての出店者。別の店主は「賃借人だけのショッピングセンターなら、もう一度、出店してもいいが」と言った。
神戸デパート開業は一九六五年十一月二十三日。毎年、この日に合わせて「ジャンボお買得フェア」が開催された。
全品三割引き。半額以下もある大安売りに客が殺到した。開店前から行列ができ、終日の大にぎわい。世の景気に関係なく、各店に大きな売り上げをもたらした。
婦人服「コマヤ」の尼子師正さん(47)は「デパートに客を呼び込み、テナント同士が売り上げを競う。そのスタイルが徹底していたから、みんなが協力した」と話す。
各店が出し合った会費は、販売促進に惜しみなく投入された。
まとめ役だった婦人服「エル」の武田安司さん(61)が振り返った。「運営管理会社という軸があった。各店も身軽なテナント同士。だから、一つになれた」
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まとまる。連帯する。その芽は再開発事業の中ではぐくまれている。
二〇〇一年。事業の地区内外の商業者が集まり、「神戸ながたTMO」が設立された。一帯の商業振興の「軸」として、役割が期待される。
呉服「大福」の塩谷裕さん(58)。跡地沿いの大正筋商店街のビルに出店する予定だ。「自分たちでやるんだという気構えがあれば、団結できる。まったく悲観していない」
神戸デパート玄関脇のプレートの言葉には続きがあった。
「しかし、協力した結果は素晴らしい」
大小三十七の店舗が集い、競い合い、にぎわいを享受した神戸デパート。その合言葉は「協力」だった。
市街地活性化、火災、そして大震災を経て、その言葉はいっそう重みを増す。
(畑野士朗 森本尚樹)=おわり=
2003/1/19