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(7)ジレンマ 行政の初動に残る宿題
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 看護師前田淳子さん(39)は地震発生の朝、三歳と六カ月の息子二人を抱え、神戸市西区の自宅を車で出た。勤務先の神戸市立中央市民病院に向かうためだった。

 病院があるポートアイランドへ架かる神戸大橋にたどり着いたが、通行止めになっていた。自宅に引き返さざるを得なかった。

 四日目。夫に子どもを託し、歩いて出勤した。数日間の泊まり込みをしばらく繰り返した。その間、夫は仕事を休んでいる。同僚たちもそれぞれに事情を抱えながら勤務していた。余震の中、家族を思った。人に涙を見せられなかった。

 「強い使命感から出勤した人こそ、ジレンマはつきものだった」。神戸市職員の聞き取り調査を続ける静岡県にある富士常葉大学環境防災学部の重川希志依教授(環境防災学)は、こう分析する。「出勤できなかった人も、職場で引け目を感じ、双方に罪悪感を残したケースもあったのではないか」

 初日の昼ごろ、兵庫県警の参集率は90%に達した。消防隊員たちも同様だったが、神戸市(消防部局を除く)37%、兵庫県庁は20%にとどまった。

 災害対策の主体は市町だ。県庁は刻々と変化する被害状況を把握して国へ応援を要請するなど、意思決定と連携の要となる。その人手不足は、結果的に初動の立ち上げを妨げた。

 県災害対策本部の第一回本部会議は午前八時半に開かれた。二十一人の本部員で、間に合ったのは五人だった。

 同本部事務局となる部署でいち早く登庁した野口一行・消防交通安全課長補佐(53)=肩書は当時=は、問い合わせの電話対応に忙殺された。ほとんどが親類などの安否確認で、被害状況や避難者数の集約に手が回らなかった。

 地域防災計画では、県庁舎や職員自体の被災、交通網のダメージは想定外だった。

 何らかの事情で、非常時に「登庁できない職員がいる」。その現実を前提に、自治体は段階的に参集体制を組むようになった。

 県や神戸市は、災対本部の立ち上げに必要な「初動要員」数十人の確保を図った。徒歩圏に待機宿舎を整備。情報収集などを担い、防災担当職員が登庁するまでをつなぐ役割だ。知事は車に頼らず、徒歩による登庁と定めた。

 一部の区役所に職員が集中した経験をもつ神戸市は、物資の集積拠点や各区役所、避難所へ、近隣に住む幹部が出向くルールを作った。

 だが、十分ではない。重川教授は「家族への世話や安否確認など、職員の精神的負担をいかに減らすか。それが結果的には、被災者対応の質を高めることにつながるはずだ」と話す。

 西宮市は、震度6以上で「人命救助部」を設置。職員の三割近い千百人を投入し、救助などに当たる方針を六年前に決めた。鳥取県でも昨年、市町村の災害応急対策を補助する応援隊を発足させた。人命に直結する業務へ、行政はより積極的に踏み出しつつある。

 「出るも出ないも、自分で割り切るしかない」と看護師の前田さん。重川教授のいう「出動する職員へのフォロー」は、まだ宿題として残ったままだ。

2004/7/27
 

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