連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(6)司令塔 近隣連携進む救急搬送
  • 印刷

 大阪府内十二の救命センターが、被災地の患者を受け入れたピークは、地震発生後三十-四十二時間だったという。大阪市立総合医療センター救命救急センター部長だった月岡一馬医師(59)=現・大阪市立住吉市民病院長=らによる調査結果だ。

 大阪大学などの調査では、入院患者の死亡率は被災地内病院で9%、被災地外で7・6%。わずか数十キロの距離が遠く、こぼれ落ちた命があった。

 月岡医師は、センターの集中治療用ベッドを空けて、待機していた。夕刻、芦屋市から到着した救急車が初の受け入れだった。同乗してきた開業医も血を流していた。惨状を聞き、「救出団」の派遣を決めた。翌朝までに芦屋市内の病院から十六人を搬送した。

 センターには一週間で、兵庫県内の十六病院から九十三人が転院したが、「医者同士の個人的つながりや、偶然でしかなかった」と月岡医師。行政を通じた依頼は一病院だけだった。

 被災地の病院は孤軍奮闘していた。

 神戸市東灘区の東神戸病院(百五十床)。戸板や自家用車で運び込まれたけが人が、フロアにあふれた。

 「転送が早かったら…」。遠山治彦内科医長(43)が、内臓損傷による死亡例を挙げた。六十二歳女性は診断がつかぬまま死亡。六十歳女性は人工呼吸器が使えず手術を断念。胃痛を訴えた八十歳男性は別の病院で腸管壊死(ちょうかんえし)と分かったが手遅れだった。

 同区の甲南病院(四百床)は震災三日目、手術を要する四十人近い重症者の転院を迫られた。県を通して自衛隊ヘリコプターを要請した。

 「家族と離れたくない」と渋る患者がいた。柳生敏子看護部長(57)らは「ここでは十分な治療ができない」と夜を徹して説得した。

 「ヘリに乗り込む患者さんは何ともいえない表情だった」。四日目の朝、ようやくヘリが飛び立った。

 インターネットを使った広域搬送の司令塔「兵庫県広域災害・救急医療情報システム」が昨年度、稼働した。県内約四百の消防・医療機関が被災状況、患者受け入れ情報を入力する。

 厚生労働省と接続する全国対応の「災害モード」と別に、中規模災害を想定した県独自の「緊急搬送要請モード」がある。二〇〇一年に起きた池田小学校児童殺傷事件、明石歩道橋事故のように、数時間の対応が生死を分ける局地災害では、国レベルの対応よりも近隣圏域での連携が必要だ。

 既に、十八人が重軽傷を負ったバス衝突事故(今年三月、神戸市北区)、五百人余りが目の痛みを訴えた異臭騒ぎ(同五月、加古郡播磨町)で起動したが、現場の神戸、東播磨圏域で必要な情報を入力した機関は四-二割。システムの実効性が問われる数字だった。県は訓練を抜き打ち式に変え、入力結果は参加者に公表すると通告した。

 県の担当者は言う。「使えないシステムにしてはならない。リアリティーのある訓練を重ね、携わる者の危機意識を高めていくしかない」

 六月十七日。地域も日時も伏せて敢行された初の抜き打ち訓練で、両圏域の入力率は七割までアップした。

2004/7/26
 

天気(9月6日)

  • 34℃
  • ---℃
  • 0%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 37℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ