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(4)一歩 今も不可避の交通渋滞
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 災害に備え、警察庁通達で定められていた“道具”が、兵庫県警になかった。緊急輸送路を確保するための標識と、緊急車両に掲示する標章。交通規制は一歩目からつまずいた。

 標識は手書きした。同時に、警察庁を通じて山形県の業者に三百枚を発注した。標章の印刷も外注した。それでも足りず、コピーで間に合わせた。

 「被災地を真っすぐ東西に通れる道は一本もなかった」

 兵庫県警交通規制課次席だった植村勝さん(61)=退職=が振り返る。

 明らかに、交通規制は待ったなしだった。だが、う回路はあるのか、情報が入らない。所轄の警察官は人命救助に追われていた。一般車両が生活道路に入れば、被災地はまひする。

 わらにもすがる思いで、長崎県警に電話した。一九九一年の雲仙普賢岳噴火災害での対応を参考にしようとしたからだが、都市の中心を襲った阪神・淡路とは事例が異なりすぎた。

 救命活動への影響を恐れた兵庫県庁幹部らも、焦りを感じていた。初の経験に兵庫県警は右往左往した。災害対策基本法による交通規制が始まるには、二日半を要した。

 「身内が生き埋めになっている。通してくれ」

 県警交通規制課員だった山下三郎警部(58)は、神戸市兵庫区の新開地交差点で、軽トラックの男性に懇願された。荷台にはスコップ、シート。押し問答の末、通行を認めた。「何であいつだけなんや」。後続車から文句をぶつけられた。

 後刻、男性が戻ってきた。「駄目でした」。礼を言うとすぐに立ち去った。山下警部は、後ろ姿を見送った。

 震災直後の交通実態を調べた京都大学大学院の中川大(だい)助教授(交通計画)は「緊急か不急か、客観的区別は難しい。一般車両の規制が無条件に正しいとは限らない」と説明する。

 甚大な被害を前に、一般車両なしでの初期救助は考えられなかった。被災地外への転送患者の運送手段は、兵庫県の調べによると、約二千六百件のうち、四割を自家用車が占めた。救急車は二割に満たなかった。

 県外から駆け付けた緊急車両が、渋滞に阻まれたことも事実だ。サイレンは鳴りやまなかった。

 阪神高速道路を緊急ルートに想定した計画しかなかった県警は、震災後、緊急輸送路を四-八通り設定した。

 それでも、中川助教授は「渋滞は回避できない」と断言する。そうした前提が、地域防災計画に必要だと迫る。

 貝原俊民知事(当時)は震災後、人命救助を含めた迅速な初動対応に向け、警察や自衛隊などに指揮命令できる権限を、災害対策本部長の知事に集約する必要を訴えた。

 当時の兵庫県警交通規制課長で、現在、警察庁から総務省行政管理局に出向中の屋久哲夫副管理官(36)は、「交通が命に直結するものだと痛感した」。震災十年を期して、当時の課員らと集まり、経験を伝えるために話し合いたいという。

2004/7/24
 

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