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(6)企業と住民 酒造の復権 地域と共に
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酒蔵のまちの面影を残す魚崎郷=神戸市東灘区魚崎南町5
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酒蔵のまちの面影を残す魚崎郷=神戸市東灘区魚崎南町5

酒蔵のまちの面影を残す魚崎郷=神戸市東灘区魚崎南町5

酒蔵のまちの面影を残す魚崎郷=神戸市東灘区魚崎南町5

 灘五郷の西部に位置し、「魚崎郷」と称される神戸市東灘区の魚崎地区。

 一帯にはかつて、古い木造の酒蔵が立ち並んでいた。切り妻屋根に白壁、石畳の道に松並木が映えた。風情のある街並みは、住民の誇りだった。ただ、酒造会社が、関係者以外を酒蔵に招き入れることは、ほとんどなかった。

 その魚崎郷に酒蔵を構える「櫻正宗(さくらまさむね)」(神戸市東灘区)が今年も11月7日、蔵開きを予定する。その年の新酒を披露する催しには毎年、数千人の見学者が集まり、敷地内に並ぶ露店には行列ができるほど。その約9割は地元の住民という。

 酒蔵と住民の関係を変えたのは、阪神・淡路大震災だった。

 「震災で酒蔵の街は一度、崩壊した。けれど、酒蔵と地元とのきずなは深まった」。同社総務部の50代の男性社員は話す。

 あの日、木造の酒蔵はすべて被災した。倒壊後に再建された蔵のほとんどは鉄筋コンクリート造りだった。櫻正宗も江戸中期の建築で兵庫県重要文化財だった内蔵、住宅をはじめ、レンガ蔵など古い酒蔵を失った。

 さらに、酒蔵の跡地にはマンションの建築計画が次々と持ち上がった。

 「このままでは、魚崎らしさが失われてしまう」

 古き良き時代の景観を愛する住民有志が、伝統的な街並みを守るため、ルールづくりを始めた。

 しかし…。

 「蔵の跡地利用を規制されるのは困る」。当の酒造業界の一部が、強く反対した。それでも、住民らは業界と粘り強い交渉を続けた。住民の今村正廣さん(63)は「酒蔵は文化だとなぜ分からないのかと、時にはけんかした」と、振り返る。

 約2年間の話し合いの末に合意が成立した。1998年に地区内の全酒造会社と自治会が参加する「魚崎郷まちなみ委員会」が発足し、街並みづくりのルールを定めた景観形成市民協定を、市との間に締結した。

 今、地区のあちこちで酒蔵風の建物を見ることができる。瓦屋根のコンビニ、和風建築の老人ホーム、白や茶で統一されたマンション…。同委員会会長を務める大石隆さん(78)は「震災前とは違うが、趣は同じ」と目を細める。

 地域で街並み論議が盛んになる一方、酒造業界を取り巻く環境も変わっていった。日本酒の売れ行き不振が深刻化し、魚崎郷でも廃業や撤退が相次ぎ、震災前の12社が5社にまで減った。生き残った酒蔵は「地元に愛される酒」に、活路を求めた。

 櫻正宗が2003年に蔵開きを始めた後、「白鶴」「菊正宗」なども住民に酒蔵を開放するようになった。男性社員は「酒蔵を身近に感じてもらうことで、日本酒ファンのすそ野を広げたい」という。

 消費不振、アルコール離れ、価格競争…。逆風にさらされる魚崎の地場産業、酒造り。復権を目指す業界は、地域と歩みつつある。(記事・末永陽子、写真・藤家 武)

2009/10/5
 

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