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(7)店舗への支援 現金支給に変わらぬ壁
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冠水した商店内を掃除する女性=10日午後5時25分、佐用町久崎(撮影・斎藤雅志)
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冠水した商店内を掃除する女性=10日午後5時25分、佐用町久崎(撮影・斎藤雅志)

冠水した商店内を掃除する女性=10日午後5時25分、佐用町久崎(撮影・斎藤雅志)

冠水した商店内を掃除する女性=10日午後5時25分、佐用町久崎(撮影・斎藤雅志)

 泥だらけになった商品が道路に積み上げられていた。8月、兵庫県西、北部豪雨に見舞われた佐用町の佐用商店街。商店会長の粂田英男さん(59)が営む食料品店も、床上1・2メートルまで浸水し、1台約100万円の大型冷蔵庫7台が廃品になった。

 しかし、被災者生活再建支援法に基づく最高300万円の支援金や県、町の見舞金などは支給されなかった。いずれも住宅の被害が対象で、店舗は対象外。加えて粂田さんの住居は店の2階にあり、住宅被害は床下浸水と認定され、支給の対象外とされたからだ。

 被災前から人口減少などで売り上げは低迷。後継者もいない。「店を直さなければ、生活は成り立たない。しかし、わずかな保険金では資金が足りず、この年で借金するのも難しい」。父親から継いだ店だが、「廃業」の2文字が脳裏をよぎった。

 「15年前と同じや」

 粂田さんの苦境を、神戸市長田区の西神戸センター街親交会長で、表具・表装店を営む田中豪人(ひでひと)さん(64)は、自らの阪神・淡路大震災の被災体験に重ねた。佐用商店街とは以前から交流があり、豪雨襲来の3日後、粂田さんの店の前で仲間とカレー300食の炊き出しをした。

 震災被災地の商店街を対象にした神戸新聞社のアンケートによると、全体の店舗数は震災前の4分の3に減少。店舗閉鎖の理由は「震災被害による廃業」が20・7%、「再建を試みたが、負債を返済できなかった」が5・9%だった。

 震災前は約60店だった西神戸センター街も今は21店。「あの時、現金支給があれば」。田中さんは唇をかむ。

 震災後、被災地の声が国会を動かし、支援法が成立。自然災害で住宅被害を受けた個人への現金支給を実現させた。しかし商店などの事業者に対し、国は「事業用資産は保険などによる備えが基本で、被災後の支援は融資が原則」との考えを変えていない。

 一方、福井豪雨(2004年)で福井市が最高50万円を、鹿児島県北部豪雨(2006年)で同県が20万円を、いずれも被災店舗などに支給する独自策を設けた。少額だったが、商店再建は地域に欠かせないという激励の気持ちが込められた。

 再建をあきらめかけた粂田さんの背中を押したのは、手押し車で体を支えながら休業中の店をのぞきに来たお年寄りの姿だった。

 1000万円近くかけて店を補修、9月28日に再開させた。ただ、既に廃業した店も相次ぐ中で、新たな借金を背負いながら店を営む厳しさは自覚している。

 地域で必要とされ、コミュニティーの核とも位置付けられる商店街。しかし、被災店舗の再建は、零細な経営者の努力だけでは難しいのが実情だ。どう支援するのか。15年前、大震災が突き付けた課題は、県西、北部豪雨でも全く同じ形で被災地に突き付けられている。

(記事・石崎勝伸、写真・斎藤雅志)

=おわり=

2009/10/6
 

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