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インタビュー・高嶋政宏さん 整理部長役「新聞人の“思い”を実感」
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激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校 再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近
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激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校

再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近

  • 激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校
  • 再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近

激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校 再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近

激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校

再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近

  • 激震で発生時の時刻で止まり校庭の花壇に落下した大時計=1995年1月17日、神戸市東灘区魚崎中町、魚崎小学校
  • 再度山ドライブウェーも崩れ落ちた岩石でいっぱい=1995年1月17日午前9時、神戸市中央区の大龍寺付近

-出演が決まったときの感想を
 脚本の内容は非常に重かったが、「この役はやらなければいけない」と思った。父(高島忠夫さん)の実家が神戸市東灘区にあり、子どものころは1年の約半分を神戸で過ごした。実家は全壊し、原風景も失われた。震災はひとごとではなかった。自分なりにこの作品に必死でぶつかっていった。

-京都新聞との協力で新聞発行を目指す整理部長役だが
 整理部長はけがで出血しながら本社に向かった理由について当時、「後ろめたさだと思う」と話している。けがを言い訳にして新聞を出せなかったら、今まで取材した人たちに申し訳ない-と。人間として行動したのだと受け止めた。

-印象に残ったシーンは
 やはり、京都新聞と協力して新聞を発行する場面。同じ新聞人として、「神戸新聞を絶対に休刊させない」という強い意志を感じた。

-撮影中に感じたことは何か
 震災で亡くなった方々の「叫び」だ。突然、生を断ち切られ、もう家族や恋人に触れられない。そのくやしさ、悲しさを思うと、「絶対にやりきらないと」と思った。

-震災15年という節目でのドラマだが
 関西では、「震災前」「震災後」というように震災は忘れ得ない出来事になっている。そして15年たっても、何も変わっていない。被災した人は今も苦しんでいるし、区切りがない。「忘れてはいけない」と思う。
 5年ほど前、大阪の舞台の休演日に三宮に行った。そのとき、震災時の映像がまざまざと浮かび、ここまで復興したんだと感動した。そのことも忘れてはいけない。

-演じ終えてどうか
 普段なら演技の評価が気になるが、このドラマについては何を言われてもいい。とにかく必死にやってみた、という思いだ。役者としても貴重な経験だった。

(聞き手・太田貞夫)

2010/1/16

 

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