-出演が決まったときの感想を
脚本の内容は非常に重かったが、「この役はやらなければいけない」と思った。父(高島忠夫さん)の実家が神戸市東灘区にあり、子どものころは1年の約半分を神戸で過ごした。実家は全壊し、原風景も失われた。震災はひとごとではなかった。自分なりにこの作品に必死でぶつかっていった。
-京都新聞との協力で新聞発行を目指す整理部長役だが
整理部長はけがで出血しながら本社に向かった理由について当時、「後ろめたさだと思う」と話している。けがを言い訳にして新聞を出せなかったら、今まで取材した人たちに申し訳ない-と。人間として行動したのだと受け止めた。
-印象に残ったシーンは
やはり、京都新聞と協力して新聞を発行する場面。同じ新聞人として、「神戸新聞を絶対に休刊させない」という強い意志を感じた。
-撮影中に感じたことは何か
震災で亡くなった方々の「叫び」だ。突然、生を断ち切られ、もう家族や恋人に触れられない。そのくやしさ、悲しさを思うと、「絶対にやりきらないと」と思った。
-震災15年という節目でのドラマだが
関西では、「震災前」「震災後」というように震災は忘れ得ない出来事になっている。そして15年たっても、何も変わっていない。被災した人は今も苦しんでいるし、区切りがない。「忘れてはいけない」と思う。
5年ほど前、大阪の舞台の休演日に三宮に行った。そのとき、震災時の映像がまざまざと浮かび、ここまで復興したんだと感動した。そのことも忘れてはいけない。
-演じ終えてどうか
普段なら演技の評価が気になるが、このドラマについては何を言われてもいい。とにかく必死にやってみた、という思いだ。役者としても貴重な経験だった。
(聞き手・太田貞夫)
2010/1/16