ドラマの原作となった「神戸新聞の100日」(角川ソフィア文庫)が重版された。文庫本は1999年12月発刊。震災から節目の15年を迎え、ドラマ化されることなどから、重版を決めた。
同書は、阪神・淡路大震災をめぐる地域ジャーナリズムの姿を克明に描くノンフィクション。震災後の神戸と神戸新聞の5年間をつづった「被災地の1826日」も収録している。
本体857円。全国の書店などで販売中。角川グループパブリッシング TEL03・3238・8521
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ドラマの原作となった『神戸新聞の100日』がプレジデント社から出版されたのは1995年11月だった。
阪神・淡路大震災で本社屋が崩壊、コンピューターシステムもダウンするなど、新聞製作の手段を奪われたものの、京都新聞社の支援を受けて新聞発行を継続。10日間という奇跡的なスピードでコンピューターシステムを再構築し、自社製作にこぎ着けた神戸新聞の震災との戦いをドキュメントで描いた。
「阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い」のサブタイトルで、「本社崩壊」「輪転機始動」「決断」「父と母」「再構築」「生きる」の6章で構成。
第1章「本社崩壊」は、大震災前日に社員たちが体験した不気味な予兆から始まり、未明の火災取材の帰途に震災に遭遇する若い記者とカメラマン、崩壊する本社屋の中で必死に連絡を取る社会部デスクやシステム部員などの姿を通して未曾有(みぞう)の災害の幕開けを描く。
続く第2章「輪転機始動」では、がれきを越えて出社する社員、京都新聞社との相互援助協定の発動、バイクによるフィルム搬送、夕刊発行と緊迫した経過を追う。
本社屋放棄、余震の続くビルからの脱出、新拠点の確保などの苦闘をまとめた第3章「決断」、肉親を失った悲しみを秘め、社説、記事を書く社員、読者に新聞を届ける販売店一家らの第4章「父と母」、1年を10日に縮める作業でコンピューターシステムを立ち上げる第5章「再構築」、読者の声援に支えられ、地域とともに生きる地元紙として震災報道に取り組む第6章「生きる」と続く。
1999年12月、『神戸新聞の100日』は角川ソフィア文庫の一冊になった。文庫化にあたり、その後5年間の被災地の状況を書き加えた「被災地の1826日」も収録するなど装いを新たにした。
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文庫本が店頭に並んだ日を「正平調」は、こう記している。
<正平調>
本紙は過去に3度、休刊のピンチに見舞われたことがある。最初が大正7年の米騒動、2度目が第2次世界大戦末期の昭和20年の空襲で、いずれも本社屋を焼失した。そして、3度目が阪神・淡路大震災だ。
大正と昭和の危機に比べて、平成の大震災時は新聞制作の隅々に至るまでコンピューターが組み込まれていたから、打撃は一層大きかった。精密機器群は、激しい揺れに弱い。だいいち電気が止まったら、ただの金属の箱になる。
あの日の夕刊は紙齢34923号だった。わずか4ページの薄っぺらい夕刊を、どうやって発行にこぎ着けたか。そのドキュメント「神戸新聞の100日」が、角川文庫に収められて、きょう25日から全国の書店に並ぶ。
やっとの思いで刷り上げた新聞を読者に届けることも、並たいていではなかった。店主と店舗を失った神戸市の販売店の様子は生々しい。大渋滞を切り抜けて到着した新聞を、家族と従業員が手分けして配る。家がない。人がいない。
公園や空き地を訪ね歩く。避難所になった学校にも走った。「新聞、到着しました」と叫ぶと、歓声がわいた。ペラペラの新聞でも、配る人がいて、待っててくれる人がたくさんいた。
その後の被災地の足取りをまとめた「問わずにいられない」(神戸新聞総合出版センター)も、間もなく出る。文庫の解説で、ノンフィクションライターの鎌田慧さんが書いている。「新聞は読者を裏切ってはいけない、という歴史的な教訓をもくっきりと示しているのである」。重く受け止め、けさの36668号をお届けする。