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神戸新聞社から 「主人公は私たちではない」 神戸新聞社から 「主人公は私たちではない」 神戸新聞編集局長・林芳樹
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災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線 ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町 プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校
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災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線

ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町

プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校

  • 災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線
  • ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町
  • プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校

災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線 ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町 プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校

災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線

ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町

プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校

  • 災害復旧のトラックなどで混雑する徳井交差点=1995年1月19日、神戸市灘区徳井町の国道2号線
  • ガレキをかき分け倒壊家屋からの懸命の救出作業が行われた=1995年1月19日午前11時20分、神戸市東灘区田中町
  • プールの水をバケツリレーし、消火活動する地域の住民=1995年1月17日、神戸市東灘区御影石町、市立御影小学校

 あのころ、阪神・淡路大震災の被災地には「懸命」があふれていた。

 紙面に載ったいくつかの話が忘れがたい。

 被災者の長い行列ができた銭湯の経営者は、疲れを笑顔に包んで客を迎えた。「けがをした人のために」と、薬局店主はすぐに開店準備にとりかかった。クリーニング店主は、家族の避難先より先に、預かった衣類の保管場所を探した。

 約束の荷を積んだトラック運転手は、大渋滞に巻き込まれながら隣県へ走った。いつもは4時間で行けるのに、3日がかり、それも不眠のまま。警察官は夜ごと、残した家族のことを案じながら、署の道場で仮眠の毛布にくるまった。

 被災数日後、神戸海洋気象台は天気予報を発表した。「雨、ところにより雷」。外れてほしいと、初めて祈りながら。

 -そして、私たちは新聞を出した。

 被災地のあちこちで、奥歯をかみ締めた姿がたくさんあった。それぞれの現場でそれぞれの役割を果たす。生きるため、救うため、守るため。やむにやまれぬ思いが、がれきの街に満ちていた。

 でも、ほてりはいつかさめる。記憶はいやおうなくおぼろげになる。

 被災15年。今回のテレビドラマは、少しずつ薄れゆくあのころを思い起こさせてくれるだろう。いつしか失った大事なものが何だったか、気付かせてもくれるだろう。

 舞台は私たちの職場である。しかし主人公は、私たちではない。被災地にあふれたすべての「懸命」が、物語に流れる本当の主役である。

2010/1/16
 

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