あのころ、阪神・淡路大震災の被災地には「懸命」があふれていた。
紙面に載ったいくつかの話が忘れがたい。
被災者の長い行列ができた銭湯の経営者は、疲れを笑顔に包んで客を迎えた。「けがをした人のために」と、薬局店主はすぐに開店準備にとりかかった。クリーニング店主は、家族の避難先より先に、預かった衣類の保管場所を探した。
約束の荷を積んだトラック運転手は、大渋滞に巻き込まれながら隣県へ走った。いつもは4時間で行けるのに、3日がかり、それも不眠のまま。警察官は夜ごと、残した家族のことを案じながら、署の道場で仮眠の毛布にくるまった。
被災数日後、神戸海洋気象台は天気予報を発表した。「雨、ところにより雷」。外れてほしいと、初めて祈りながら。
-そして、私たちは新聞を出した。
被災地のあちこちで、奥歯をかみ締めた姿がたくさんあった。それぞれの現場でそれぞれの役割を果たす。生きるため、救うため、守るため。やむにやまれぬ思いが、がれきの街に満ちていた。
でも、ほてりはいつかさめる。記憶はいやおうなくおぼろげになる。
被災15年。今回のテレビドラマは、少しずつ薄れゆくあのころを思い起こさせてくれるだろう。いつしか失った大事なものが何だったか、気付かせてもくれるだろう。
舞台は私たちの職場である。しかし主人公は、私たちではない。被災地にあふれたすべての「懸命」が、物語に流れる本当の主役である。
2010/1/16