焼け焦げたにおいが漂い、鉛製の水道管がどろどろに溶けていた。すすだらけの街で、鉛がひときわ光って見えた。勤務先があった神戸市長田区の菅原市場周辺を歩いたときの風景だ。
翌1996年、震災のがれきから出た鉛の廃材を使い、作品を手がけた。熱して溶かし、階段に垂らす。ドロリ。溶岩流のように階段を流れた。「人工の金属部品が、地球から生まれたものの一つだと実感した」
神戸の街は巨大なエネルギーに押しつぶされた。そこから分かったことがある。人間は建物や機械など、さまざまなモノを作る能力があるが、自然にはあらがえない弱い存在である、と。
6年前から、廃棄処分された機械部品を組み上げ、未来都市のように見える作品を制作している。総重量が数トンにもなる大型作品だが、溶接はしない。一つ一つ部品を積み上げている。
大きな揺れが加われば一瞬にして崩れ、また一から制作作業を始める。美しさの陰に、はかなさや切なさ、不安定さが隠れる。
「人間は完全ではない。未来に向かってどのように生きていくべきかを問い続けたい」。作品にそんなメッセージを込める。(斎藤雅志)
2011/1/6