親類に食料を届けるため、奈良県生駒市の自宅から西宮・仁川に向かった。震災4日目。鉄道は途切れ、道路は大渋滞だった。阪急西宮北口駅で電車を降り、その先は歩いて向かった。
建物は崩れ、道路は上下にうねる。新幹線の橋げたが落ちていた。戦場のような風景。歩いているうちに、足元が崩れ落ちるような感覚にとらわれた。
「一体自分はどこに立っているのか、これから何を頼りに生きていけばいいのか」
この体験が創作活動の原動力となり、人間の存在する意味を問うた。1996年から日本やドイツの精神科病院、強制収容所を訪ね、部屋の窓の写真を撮影。そこで亡くなった人を思い、自分が生かされている意味を考えた。
「窓が隔てる内と外は、いつ逆転してもおかしくない」。生の不確かさを作品で示した。
98年と2000年には「孤独死」をテーマにオブジェを発表。骨組みだけの仮設住宅に4台のベッドを並べ、ひと抱えほどの大きな石を置いた作品だ。地震がなければ家族を失わず、違う人生を歩めた人たちの「魂の痕跡」を表現した。
「見えないものを形にして見せる。それが表現者としての私の使命」(吉田敦史)
2011/1/13