どんなに言葉を尽くしても、あの大震災を表現しきれない。
翌年の1996年、詩集「日々の、すみか」の中で、そのもどかしさをつづった。「わが舌は何を告げないのか。滅びて、なお、日々の、すみかよ。」(「雨(う)裂(れつ)」)
神戸市長田区で経営していたアルミ材料商の社屋は全壊。慣れ親しんだ町は炎と黒煙に包まれた。「内面が崩れ去るような衝撃だった」と振り返る。
多くの知人が愛する家族を失い、一瞬で平穏な暮らしが粉々になった。「あの日の悲しみは容易に表現できない。それでも伝えなければならない」。言葉を探す長い旅が始まった。
年を経るごとに、鎮魂、復興、教訓…といった言葉が被災地にあふれたが、違和感があった。「こうした表現だけで、震災を表せるのだろうか」と。
焼け焦げた町や、がれきの山は被災地に戦争の記憶を呼び覚ました。戦争もまた伝えきれない歴史だ。兵隊として戦禍を生き抜いた父を描き、今年の1月17日に合わせ詩集を発表する。
震災と戦争。痛ましい経験をどのような言葉に乗せ、後世に引き継ぐのか。震災から16年たった今も手探りが続く。
(仲井雅史)
2011/1/14