阪神・淡路大震災から10年を目前に、その人は急逝した。
「阪神大震災を記録しつづける会」の代表だった高森一徳(かずのり)=当時(57)。「10年で10巻」を目標に、毎年公募、出版していた震災手記集の最終巻が手元に届く直前だった。
高森が記録にこだわった背景には、広島で被爆した父の経験があった。晩年に被爆者手帳を申請した際、記憶していた爆心地近くの檄文(げきぶん)と記録が一致し、交付の決め手になった。
10冊の震災手記集に収録された434編は今、インターネット上で公開されている。
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阪神・淡路はそれまでの災害に比べ、はるかに多くの「市民の記録」が残されている。
神戸市灘区の保育士小西眞希子(54)は「記録しつづける会」が1995年に発行した最初の手記集に、震災で亡くなった長女希(のぞみ)=当時(5)=への思いをつづった。
震災前日、「明日たこ揚げするの」と言っていた姿。病院で息を引き取った後、大好きな幼稚園の前を通って実家に向かったこと。手記は「天国にいるあなたに会えるまで頑張りますね」と結んだ。
震災後、住民票や保険証から娘の名前が消えていくことがつらかった。
「希の生きた5年間がなかったかのように消えていく。生きた証しを残したかった」
手記は学校や各地の朗読会で読み継がれる。「希の命がつながっている」と思う。
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「記録しつづける会」の活動は、高森のめいで大阪大大学院生の順子(30)が引き継ぐ。
震災時は小学5年。神戸の六甲アイランドで揺れを経験した。多くの同級生が避難し、クラスは一時6人だけになった。
「市民の記録には『非日常の中の日常』がある」という。
高速道路の倒壊や大火の映像を見ても、被災地から離れた人はどこか「別世界のこと」と感じる。しかし、市民の暮らしの記録は「自分にも起こり得る」という想像力を生む。
手記集は、被災者以外の体験も意識して収録している。被災後、うつ病になった父を見つめる東京の女性、何もできずに神戸から引き返したボランティア-。それぞれの言葉が、多面的な震災の姿を浮き彫りにする。
東日本大震災では、市民の記録がさらに膨大な数に上る。それをどう生かすのか。順子は、東北の被災地の人々と交流しながら考える。
阪神・淡路から20年となる来年には、小西をはじめ過去の投稿者に呼び掛け、10年ぶりの手記集を出版する。
「まち全体の節目と個人の節目は違う。そんな震災の複雑さを、ありのまま残したい」
公式の記録だけでは、震災の本当の姿は伝わらない。長い道のりを記録し続けて初めて、見えてくる現実がある。=敬称略=(磯辺康子)
2014/5/1