その施設は完成前、「阪神・淡路大震災メモリアルセンター」の仮称で呼ばれていた。
震災後に整備された神戸の臨海部に立つ「人と防災未来センター」(神戸市中央区)。兵庫県などが構想し、震災7年後の2002年に開館した。被災者の寄贈資料など約22万点を所蔵。17人の研究員を抱え、防災に関わる全国の自治体職員の研修拠点にもなっている。
「メモリアル(追悼)」の言葉が消えたのは、大蔵省(当時)の注文だった。
主要展示部分のビルは、建設費の半分の約30億円を国が拠出。年間運営費の半分、約2億5千万円も国の負担だ。センターは「阪神・淡路の施設」でなく、教訓を国内外に発信する国家的事業であり、兵庫県としても国の関与を強く望んだ。
実務トップの副センター長は代々、国土交通省出身の官僚が務めている。
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「センター出身であれば、阪神・淡路大震災の経験や災害対応全般に詳しくて当然、と期待される」
神戸出身で、開館時から4年間専任研究員を務めた東北工業大学(仙台市)准教授、福留邦洋(43)=地域防災=は大災害の被災地に身を置き続ける。
研究員時代、04年の新潟県中越地震で同県などの助言役を務め、その後6年間新潟大学に勤務した。福留のようにセンターに在籍し、巣立っていった研究者や自治体職員らは30人を超える。
阪神・淡路の経験を学ぼうとする市民も、国内外からセンターを訪れる。
入館者は12年間で約580万人。団体の8割近くが兵庫県外や海外からだ。震災の再現映像や被災者が提供した資料などで、「阪神・淡路とは何か」が発信され続けている。
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ただ、発信の成果は簡単には見えない。
センター長で、関西大学社会安全学部教授の河田恵昭(68)は「東日本大震災で指摘されている課題の多くは阪神・淡路で既に示されていた」と話す。
震災関連死の多発、被災者ニーズと施策のずれ-。東日本の苦悩は、阪神・淡路の失敗をなぞっている部分も少なくない。
兵庫県職員で通算6年センターに勤務する研究部長の村田昌彦(57)は、施設の役割を模索し続ける。
「センターの財産は人」。研修などで関係を築いた全国の自治体職員、語り部などの地元ボランティアがいてこそ生きた教訓が伝わる、と強調する。
村田自身、震災で祖母を失った。遺体安置所から仕事に通った。
人の体温が消えれば、センターは「巨大なハコモノ」と化す。6434人の犠牲者の無念とかけ離れた震災の姿が伝えられることにもなりかねない。
兵庫という震災の地に暮らす者として、何を発信していくのか。災害で再び多くの命が奪われることのないように、どのような努力をするのか。
一人一人が、死者から問われている。あなたたちは無関心になっていないか、と。
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阪神・淡路大震災から来年で20年となる。復興の過程で、被災地には数々の新しい試みが生まれた。震災を知らない世代が増え、東日本大震災が起きた今、その中身が問われている。私たちは次の世代に何を、どうつなぐのか。
=敬称略=
(磯辺康子)
2014/4/17