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道路橋の耐震基準を定める「道路橋示方書・耐震設計編」
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道路橋の耐震基準を定める「道路橋示方書・耐震設計編」

道路橋の耐震基準を定める「道路橋示方書・耐震設計編」

道路橋の耐震基準を定める「道路橋示方書・耐震設計編」

 「基準を満たすのは当然だ。それ以上を求めたつもりだったが、引き継がれていないのか」

 阪神・淡路大震災による阪神高速道路の倒壊をめぐり、遺族の萬(よろず)みち子(91)が阪神高速道路公団(当時)を相手取った国家賠償訴訟(2004年に和解)の弁護団事務局長を務めた弁護士羽柴修(65)は語気を強めた。

 和解では「公団は震災対策に万全を期す」との条項が盛り込まれた。民営化された阪神高速は、阪神・淡路後の基準による耐震補強を完了させたが、取り組みはあくまで基準の範囲内だ。

 羽柴は「その後、想定外という東日本大震災による津波と原発事故が起きた。危険度とともに、求められる安全性も高まっている」と指摘する。

 道路橋の耐震基準は、関東大震災(1923年)の3年後に初めて定められた。長い間、想定地震は関東大震災で、現在は活断層型が阪神・淡路、海溝型は十勝沖(2003年)と東日本大震災(11年)になっている。

 一貫する方針は「過去最大級の地震に耐える」というものだ。だから、大地震が起こるたび、想定は書き換えられた。耐えるべき揺れの強さは1980年代の10倍になったものの、未曽有の地震は常に想定外である。

 「橋は何十年使うか分からない公共財。過去最大級では心もとない」

 そう問い掛けるのは、長く道路橋耐震工学の第一線にあった東京工業大名誉教授の川島一彦(66)。震災当時、旧建設省土木研究所の調査団の一員として、出生地でもある神戸の惨状を見た。

 震災後の19年で耐震補強は飛躍的に進んだが、マグニチュード(M)6・5以上の地震が次々と起こった。2000年の鳥取県西部、04年の中越、07年の中越沖、08年の岩手・宮城内陸…。いずれも文部科学省が示す主要活断層(110カ所)以外で起きた。

 そして、日本の地震学は東北沖での巨大地震の可能性を指摘できないまま、東日本大震災を迎える。川島は「いつどこでどんな地震が起きてもおかしくない」とする。

 「想定される外からの力が明確ではない場合、設計は安全の側に余裕を持たせるもの。だが地震に関して、道路橋の基準はそうなっていない」

 そもそも、阪神・淡路(M7・3)の揺れの強さは「過去最大」なのか。筑波大教授の境有紀(ゆうき)(52)=地震防災工学=は「過去にもっと強い地震はあった。濃尾地震(1891年)は直下型でM8・0だった」と否定する。

 耐震設計の想定地震には、震動の強さと周期を記録する「強震観測データ」が欠かせない。日本で初めて正確なデータが得られたのは1968年の十勝沖地震。阪神・淡路はわずか50年足らずの過去最大にすぎない。

 境は続けた。

 「阪神・淡路大震災の本当の揺れは、今の耐震基準に用いられている阪神・淡路のデータより強かったかもしれない」

=敬称略=

(森本尚樹)

2014/10/18
 

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