「心のケアは、被災者に人気がない」
10月。兵庫県こころのケアセンター(神戸市中央区)が、保健や福祉関係者を対象に開いた研修会。センター長の精神科医加藤寛(56)がそんな言葉を発した。
「東日本大震災では、避難所で『心のケアお断り』の張り紙が張られた」とも話した。
阪神・淡路大震災以降、国内外の被災地で活動し、明石歩道橋事故や尼崎JR脱線事故の被害者とも関わってきた加藤には、試行錯誤した末の結論がある。
「被災者に受け入れてもらうためにはケアを強調しないこと。現実的な支援をしながら、地道な関係をつくること。そして何よりも、害を与えないことが重要だ」
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阪神・淡路以後、広く取り組まれるようになった心のケア。東日本大震災では、全国の都道府県が精神科医や臨床心理士によるチームを被災地に派遣した。その数、1年間で延べ約3500人。大学やボランティア団体なども相次いで被災地に入った。
しかし、受け入れ側には戸惑いも生じた。宮城県南三陸町の保健師、工藤初恵(54)は「震災直後、被災者は生きる、食べる、着るのが最優先」と話す。「被災者の苦しい心の扉を開けるだけ開けて帰る人もいた。誰がフォローするのか。無責任ではないか」
こうした現状を受け、兵庫県こころのケアセンターは心理的支援マニュアルの普及に力を入れる。米国の国立PTSDセンターなどが作成した「サイコロジカル・ファーストエイド(心理的応急処置)」で、回復力を引き出すことを重視する。
「穏やかにそばにひかえ、安心感を与える」といった基本的な姿勢を示し、「そのうち楽になりますよ」など、遺族に掛けてはいけない言葉も具体的に挙げる。
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阪神・淡路から20年の蓄積で、被災者や遺族の苦しみが長く続くことも明らかになってきた。
震災から15年後のこころのケアセンターの調査では、106人の遺族のうち約半数に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状や悲嘆反応がみられた。
神戸市東灘区で1人暮らしをしていた甲南大3年の長男正則=当時(21)=を失った岡部香津子(66)=たつの市=は、今も心療内科に通う。
震災後、不眠や頭痛、吐き気に悩まされた。「地獄の底にいるようで、どうしていいか分からなかった」。周囲の目が気になり、医療機関には足が向かなかった。初めて受診したのは震災の約7年後。気を失って倒れ、PTSDと診断された。
カウンセリングで心の内を吐き出し、「少しずつはい上がってきた」と岡部。「私の場合、時間では解決できなかった。ケアが必要だった」と振り返る。
加藤は「症状が重い人ほど、専門家とつながりにくい」と指摘する。苦し過ぎて身動きが取れない人は少なくない。だからこそ、長期的な視点に立った支援が欠かせないと説く。=敬称略=
2014/12/19