消えない借金
5年ほど前、神戸市長田区で1軒の中華料理店が看板を下ろした。
この地で25年、鈴木誠(52)=仮名=は店の主として、鍋を振るっていた。妻が接客し、昼どきにはサラリーマンで席が埋まった。
しかし、阪神・淡路大震災で、店舗兼住宅は全壊。バブル期に約5千万円で買ったローンが残っていた上、改築のためのローンも組んだ。神戸市の災害援護資金からも200万円を借りた。
再び店を開いたものの、大型チェーン店の進出や事業所の移転などで、客の入りは厳しくなった。誠は借金を返すため週1日、コンビニエンスストアで深夜のアルバイトを始めた。妻も店に出ながらスーパーで働いた。
店の売り上げは一向に戻らず、誠の深夜アルバイトは週2日、3日と増えた。その方がてっとり早く現金を手にできたからだ。生活は逆転し、とうとう店を閉めた。その際に借金を整理し、災害援護資金は完済できた。
現在も、誠は毎日深夜バイトを続け、妻は介護施設で働いている。
「うちらはどうにかやっている。もっと大変な人もいるから」
言葉少なに語る誠。市への借金は返せた。だが、若いころから修業を積み、店まで構えた料理人としての人生は絶たれた。
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多額の未返済が問題となる災害援護資金だが、震災から20年近くがたち、借り入れた人の約8割は完済している。
神戸市東灘区で食料品店を営む佐藤清(79)=同=も返し終えた一人だ。
周辺は商店街だったが、震災で一帯が焼けた。救助に走り回っている間に自宅兼店舗も焼け、何も取り出せなかった。避難所生活をしながら、2カ月後、段ボールに商品を並べて商売を再開。約2年後、貯蓄と災害援護資金で店舗兼住宅を再建した。月々5万円以上の返済は苦労したが、震災から10年後、期限通りに完済できた。
清の妻幸子(78)=同=は、未返済の問題に納得できない表情を見せた。「私たちは『何くそ』と必死でやってきた。返さん得になるのか」
一方、清は、並びにあった和菓子店を思い浮かべた。「昔通りの仕事ができればいいけど、そんな状況ではない。返せない人もいると思う」
和菓子店はいったん再建したが3~4年後、店を閉めた。男性店主は災害援護資金のほかにも借金があったという。店主は自己破産し、その後亡くなった。息子は自殺した、と聞いている。
「うちはおかげさんで返すことができた。それだけで満足しないといけない」
清は店舗前の通りに目をやった。周辺で震災前から営業を続ける店は2、3軒しか残っていない。
=敬称略=
(高田康夫)
2014/12/26