24年前の阪神・淡路大震災では、ピーク時に約31万6千人もの被災者が避難所へ身を寄せた。災害支援団体「チーム神戸」の金田真須美代表(59)は、その避難所を「まるで収容所だった」と振り返る。
「階段の踊り場で一つの家族が肩を寄せ合ったり、公園のジャングルジムにブルーシートをかけて寝たりする人もいた」
同様の光景は東日本大震災でも繰り返され、熊本地震では、避難所を避けた車中泊による健康被害も大きな問題となった。
昨年7月の西日本豪雨で大規模な土砂崩れが起きた神戸市灘区篠原台地区。被災した男性会社員(39)は、父親(74)と一緒に避難した。
夏の盛り、避難所になった同区内の体育館は空調設備が稼働しておらず、扇風機を用意してもらった。
「日中は熱中症が心配。夜も照明で寝づらい。配給される携帯食は同じものばかりで飽きてしまう」
避難所の過酷な環境が、極めて低い避難率の一因とされる。硬い床に大人数で雑魚寝し、プライバシーもない。体力のある大人にも負担は大きい。「家にいた方がまし」という思いが避難に二の足を踏ませる。
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7割以上の世帯が避難した例が西日本豪雨であった。地区の3分の2が土砂災害警戒区域に含まれる兵庫県養父市和多田地区。深夜、しかも避難所は集落から約2キロ先。にもかかわらず、23世帯中17世帯が避難した。
消防団員から「川の水が泥臭い」との報告を受けた区長の藤林美典さん(63)は迷わず避難を決断。手分けして連絡を取り、車で送迎するなどして約1時間で住民の移動を終えた。
「避難先が安心できる環境かどうかが大きなポイントだった」と強調する藤林さん。避難所は普段から予防介護講座などで住民になじみがあった。畳の小上がりにはテレビやこたつがあり、冷暖房も完備。マットや毛布も整う。夜を明かす際には、地元の社会福祉協議会職員5人も駆け付け、精神的ケアに当たった。
手厚い避難誘導だけでなく、居心地の良い環境が避難への意識を高めた。
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せっかく避難しても、避難生活が命と健康を脅かすこともある。そんな状況を防ごうと、新たな取り組みも生まれている。
昨年6月の大阪府北部地震。大阪府茨木市の東中学校では、体育館に授乳室や女性更衣室、おむつ替えスペースを開設。ミルクづくり用の電気ポットや冷水機も用意し、女性や乳幼児に配慮した。
市職員だけでなく、地域住民やボランティアも輪番制で運営を担った。前年度に地域ぐるみで訓練した成果といい、坪田泉校長(57)は「日ごろの取り組みが生きた」と話す。
大阪府八尾市で段ボール会社を経営する水谷嘉浩さん(48)は、自社で段ボールベッドを製造し、被災地に届ける。「寝るのは体育館の床。届く食事はパンや冷たい弁当。そんな風景を変えたい」。避難したくなる避難所づくりを目指す。(太中麻美、竹本拓也、村上晃宏)
=おわり=
2019/1/22