同じ大きさの図形なのに、大きい物の周りに置くと小さく見え、小さい物の周りに置くと大きく見える。目の錯覚の一つで「エビングハウス錯(さく)視(し)」と呼ばれる。物事をほかと比べて把握しようとする人間の性(さが)が影響している◆車いすにちょこんと座る姿は小さく可憐(かれん)なのに、舞台に上がるとなぜこうも大きく見えるのか。96歳の舞台俳優、河東(かとう)けいさんのことだ。関西で70年間演じ、尼崎市のピッコロシアターできょう、最後の舞台公演がある◆演目はライフワークにしてきた三浦綾子原作の「母」。拷問死した戦前のプロレタリア作家、小林多喜二の母セキの物語である。一人芝居として始め、90歳になると身軽に上演できる朗読形式に変えた◆今春その舞台を見た。時候のあいさつから始まるので河東さんの言葉かと思えば語り始めたのはセキだった。時空を超え、多喜二の「母」がそこにいた◆最近は物忘れが目立ち、介護施設で暮らす。それでも大きく見えるのは、比べる存在がほかにないから◆念のためにお伝えすると、きょうの160席は残席があと少し。コロナ禍で開催の危機もあったがスタッフが走り回って当日にこぎつけた。心の芯に届く「ほれっ多喜二! もう一度立ってみせねか!」の声を本当はもっと聞きたい。2022・8・27
