■児童が学習、記憶つなぐ
「三輪でも空襲があったんです」「子どもたちが帰宅途中に襲われました」
兵庫県三田市立三輪小学校(同市三輪)の児童が、NPO法人「歴史文化財ネットワークさんだ」の説明に耳を傾ける。終戦直前、三田が米軍機の攻撃にさらされた過去を学ぶ授業だ。
1945年7月19日昼、数機の米軍機が現三田市の上空に飛来。歩いていた三輪国民学校(現三輪小)の児童らを銃撃し、児童4人と女性1人が死亡した。下滝野が空襲される5日前のことだった。
体験者らの証言には「グラマン(艦載機)に襲われた」との表現が多い。だが、米海軍の文書を見ても、同日の大規模な出撃記録はない。
一方、硫黄島の米陸軍航空軍「第7戦闘機集団」はこの日、伊丹、西宮などを標的に出撃していた。三田を襲ったのは、この部隊の戦闘機「P-51」だった可能性がある。
◆
住民が悲惨な死を遂げた記憶を後世に-。三輪小では毎年、6年生の「ふるさと学習」を利用し、戦争と三田空襲を学ぶ機会を設けている。
児童たちは、戦時中の資料が保管されている会館を訪れ、銃弾が貫通した半鐘を見学する。また、銃撃から逃げ回り、級友の死を目撃した体験者の生々しい話を聞く。
担任の元木健策教諭は学習の狙いを説明する。「空襲体験には、普段自分たちが通学し、友達と遊んでいる場所が出てきます。戦争の記憶を『自分のこと』として認識できているのでは」
児童たちも、それぞれの思いを手作りの新聞につづる。
「戦争のイメージは広島と長崎しかなかったけど、三輪でも戦争があったと感じました」(大原優依さん)
「亡くなった生徒がいたと聞き、衝撃を受けました(中略)私たちは戦争の話を伝えていかなければならないと思いました」(石上友希乃さん)
三田空襲の学習は長く同校に定着している。教師たちが異動で入れ替わっても、「やらなければいけない授業」との共通認識があるからだ。
「後世の私たちが空襲のことを知らなかったら、亡くなった子どもたちが浮かばれません」と岡崎正文校長。「故郷の戦争を知った上で、これからの生き方につなげてほしい」と、子どもたちに思いを託す。(杉山雅崇)
■知られざる空襲・第2部(4)5歳児の恐怖 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
■知られざる空襲・第2部(3)鮮烈な記憶 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
■知られざる空襲・第2部(2)たんすの傷跡 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
■知られざる空襲・第2部(1)体験者の証言 昭和20年7月24日【加東・下滝野】

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