神戸新聞が本社と支社・総局の記者やデスクに実施した「平成アンケート」。取材を通じ印象に残ったり、同時代人として影響を受けたりしたニュース・出来事を尋ねる質問では、阪神・淡路大震災などが多くの票を集めた。一方で、トップ3に挙げたのはわずか1人だけれど、思わずうなずいてしまう名回答もあった。記者・デスクとっておきの「マイニュース」を紹介します。
【旧南淡町の連続299日の時間給水=1994~95年】
猛暑による水不足の影響が全国に広がり、兵庫県内では特に淡路島の旧南淡町(現南あわじ市)で深刻化。94年7月から給水は1日5時間(午後4~9時)だけとなり、「水道の蛇口をひねっても水が出ない体験を初めてした」(90年入社)。一時は全国で1千万人が給水制限の影響を受け、同町の時間給水は95年5月まで続いた。
古くから水不足に悩まされてきた淡路島だったが、98年の明石海峡大橋開通によって、神戸側から送水する「本土導水」が始まり、水の安定供給にめどがついた。
【全国高校駅伝男子、兵庫勢が5連覇=94~98年】
5連覇のうち西脇工が4回、報徳が1回。外国人留学生を擁する強豪を相手に「兵庫県出身の超高速ランナーをそろえて高校駅伝のレベルを飛躍的にアップさせ、『駅伝王国』の名をとどろかせた」(93年入社)。
【飲酒運転の厳罰化=2002年】
飲酒運転など悪質な違反の罰則が強化されるとともに、酒気帯び運転の対象となる呼気1リットル中のアルコール濃度が「0・25ミリグラム以上」から「0・15ミリグラム以上」になった。これを受け、92年入社の記者は「酒はやめられないので、運転をやめました」。
【ヤミ金融の社会問題化=03年~】
大阪・八尾市の60代の夫婦ら3人が、ヤミ金融の脅迫的な取り立てを苦にJRの踏切で心中。当初借りたのは1万5千円だったが、利子だけで毎週1万5千円を支払う状態に追い込まれ、職場や近隣にまで取り立てなどの電話がかかるようになった。
この事件を機にヤミ金融が社会問題化。規制する法律もできたが、被害の根絶には至っていない。当時、兵庫県内の被害実態を取材した記者は「貧困やギャンブル依存、貸し付ける業者の倫理観の欠如など、今も問題の根本は変わっていない」(99年入社)
【プロ野球再編問題=04年】
オリックスと近鉄の球団合併に端を発した再編問題。1リーグ制も取りざたされ、選手会が史上初のストライキを決行する事態となった。最終的には世論の後押しもあって楽天の新規参入が認められ、ダイエーもソフトバンクに譲渡された。当時、運動部だった記者は「各球団はその後、ファン獲得へあの手この手を打つようになり、プロ野球はよりエンターテインメント性を増すようになった。大げさに言えば、日本のプロスポーツが企業依存から脱皮するための一歩になった」(99年入社)
【阪神・赤星憲広選手が5年連続の盗塁王=01~05年】
ドラフト4位での入団だったが、シーズン1年目の01年から5年連続で盗塁王に輝き、03年と05年のリーグ優勝にも大きく貢献。「プロ野球選手としては小柄だが、これだけ活躍できるのだと勇気をもらった」と17年入社の記者。一時は憧れが高じ、プロ野球選手を目指したとか。
【宝塚市長が2代連続、汚職事件で逮捕=06年、09年】
パチンコ店の出店などを巡り、業者からわいろを受け取ったとして市長が06年に逮捕され、出直し選で当選した市長も09年、霊園造成工事に絡み現金を受け取ったとして逮捕された。「行政による政策決定は透明性が確保されていると思っていたが、“ブラックボックス”の側面が大きかった」と01年入社の記者。自治体トップが2代続けて汚職で逮捕されるという異例の事態に、市民らも「『歌劇のまち』のイメージを損ねた」と憤った。
【ウナギ産地偽装事件=08年】
神戸市内の水産卸売会社などが、中国産ウナギのかば焼きを「愛知県三河一色産」などと印刷した箱に入れ替えて納品した事件。担当した記者は入社1年目ながら「背景に職業倫理の欠如を感じた」。食品に限らず偽装に絡む企業の不祥事は今も相次ぎ、「倫理で防ぐことができなければ、どんな手だてがあるのか…」と考え込む。
【神戸阪急の閉店=12年】
消費不況やファストファッションの隆盛で百貨店業界があえぐ中、神戸ハーバーランドでの開業から20年を前に撤退した。高校時代によく通っていた03年入社の記者は「記憶の中のハーバーランドの姿が変わっていくことを寂しく感じた」。後継としてオープンした「umie(ウミエ)」は若い家族連れを意識した品ぞろえで訪日外国人観光客らも取り込み、堅調を維持している。
【海文堂書店閉店=13年】
神戸・元町商店街で1914(大正3)年に創業した老舗書店だったが、活字離れや大型店の出店などの影響もあり100年近い歴史に幕を閉じた。個性的な本選びで多くの読書家に愛されていただけに、文化担当だった記者は「阪神・淡路大震災以降では最大の精神的打撃だった」(92年入社)。同商店街には他にも複数の総合書店があったが、いずれも姿を消した。
【ラグビー元日本代表監督・平尾誠二氏死去=16年】
神戸製鋼ラグビー部による日本選手権7連覇(89~95年)の立役者であり、ワールドカップ(W杯)にも選手として3度、監督として1度出場。19年W杯の日本誘致にも尽力した。長く交流のあった93年入社の記者は高校時代、平尾氏への憧れからラグビー部に飛び込んだ。「神戸、兵庫だけでなく、日本のスポーツ界全体にとっても大きな損失だった」
2018/1/11【番外編】読者アンケートから(下)四人四様、時代への思い-2018/3/21
【番外編】読者アンケートから(上)印象に残った平成のニュースは2018/3/20
【募集】印象に残った平成のニュース・出来事は?2018/1/15
【番外編】神戸新聞記者とっておきの「マイニュース」2018/1/11
【番外編】記者アンケートから(下)「過渡期」揺らぐ幸せの形2018/1/11
【番外編】記者アンケートから(上)阪神・淡路大震災忘れられない2018/1/10
【7】「災害の時代」 「備え」「支え」心に刻む2018/1/9
【6】「気負わず挑戦」 トップ選手、次々世界へ2018/1/8