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震災で亡くなった父や友人への思いを胸にボランティアに励む岡崎忠吉さん=神戸新聞社 山一証券での思い出を振り返る畠洋子さん=神戸新聞社 旧神戸新聞会館をあしらったテレホンカード 医療職として災害への備えを説く福田邦昭さん=神戸市西区春日台7 平成時代の幸福観について語る高島絢子さん=神戸新聞社
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震災で亡くなった父や友人への思いを胸にボランティアに励む岡崎忠吉さん=神戸新聞社

山一証券での思い出を振り返る畠洋子さん=神戸新聞社

旧神戸新聞会館をあしらったテレホンカード

医療職として災害への備えを説く福田邦昭さん=神戸市西区春日台7

平成時代の幸福観について語る高島絢子さん=神戸新聞社

  • 震災で亡くなった父や友人への思いを胸にボランティアに励む岡崎忠吉さん=神戸新聞社
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  • 旧神戸新聞会館をあしらったテレホンカード
  • 医療職として災害への備えを説く福田邦昭さん=神戸市西区春日台7
  • 平成時代の幸福観について語る高島絢子さん=神戸新聞社

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震災で亡くなった父や友人への思いを胸にボランティアに励む岡崎忠吉さん=神戸新聞社

山一証券での思い出を振り返る畠洋子さん=神戸新聞社

旧神戸新聞会館をあしらったテレホンカード

医療職として災害への備えを説く福田邦昭さん=神戸市西区春日台7

平成時代の幸福観について語る高島絢子さん=神戸新聞社

  • 震災で亡くなった父や友人への思いを胸にボランティアに励む岡崎忠吉さん=神戸新聞社
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  • 平成時代の幸福観について語る高島絢子さん=神戸新聞社

 平成時代の印象的なニュースや出来事について、神戸新聞社が行った読者アンケート。上位三つを挙げてもらったところ、阪神・淡路大震災から個人的な体験まで多彩な答えが集まった。回答者のうち4人にこの30年の歩みや時代への思いを聞いた。(田中陽一、段 貴則)

■「阪神・淡路」経て各地でボランティア 岡崎忠吉さん(66)

 アンケートに「あんなに悲しい思いはもうしたくない」と記したのは、岡崎忠吉さん(66)=神戸市兵庫区。阪神・淡路大震災で父親と友人を失った。

 当時は両親らが暮らす同区の実家から近い長屋に住んでいた。ともに倒壊は免れたが強い余震が続き、家族で近くの小学校へ避難。一つの教室に40人以上が身を寄せたと記憶している。毛布はなく、小さな椅子に座ったまま夜を明かした。

 数日後、近くの井戸から水が出ると聞き、75歳だった父が向かった。しかし、長蛇の列でずいぶんと待つ必要があった。もともと心臓が弱く、戻ってくると「胸が苦しい」と訴えた。すぐに入院したが、3カ月後に息を引き取った。「地震さえなければ…」との思いを抱えつつ、毎年1月17日には神戸・三宮の東遊園地に足を運ぶ。

 阪神・淡路以降、国内外で災害が起きるたびに寄付し、東日本大震災の被災地にも繰り返しボランティアとして訪れた。「恩返し」以外に、もう一つ理由がある。

 「人は時間とともに備えを忘れる」と岡崎さん。だからこそ行動し、災害を胸に刻む。それが生き残った者の責任だと考えている。

■バブル、震災、自主廃業…誠実に働き、全う 畠洋子さん(73)

「新聞会館の壁に描かれた富士山を見ると懐かしくて。私の宝物」。山一証券の従業員だった畠洋子さん(73)=神戸市北区=は、神戸・三宮にあった旧神戸新聞会館が写るテレホンカードを大切に保管してきた。

 富士山は、会館に支店を構えた山一の象徴だった。畠さんは1985年に働き始め、投資信託の販売を担当した。やがて平成バブルの絶頂を迎え「世の中に、こんなにお金があるのかと思った」と振り返る。

 阪神・淡路大震災の朝は職場の掃除当番だった。「会社に電話がつながらなくて。早く行かなきゃと気持ちばかりが焦った」。職場は大きな被害を受け、立ち入り禁止になっていた。

 97年11月24日。平成の経済史に刻まれることになった山一の自主廃業会見があった。「社員は悪くありませんから」。社長が号泣しながら訴えた。会見後、畠さんに顧客から差し入れが届いた。みかん、ぜんざい…。「お客さんが『あんたも大変やろ』って。社長の言葉が通じたと思う」

 波乱に満ちた会社人生だったが、誠実に働き全うした。家庭では孫4人に恵まれた。アンケートに迷わず「一番充実の30年。人生が凝縮された年月」と記した。

■「1.17」の教訓後進に伝える 福田邦昭さん(73)

 「臨床検査技師の原点を再確認した」。阪神・淡路大震災当時、尼崎市の県立塚口病院(現県立尼崎総合医療センター)の検査部技師長だった福田邦昭さん(73)=神戸市西区=は話す。

 被災者の避難生活は長期化が予想された。糖尿病や高血圧など「慢性疾患への対応が深刻な課題になる」と直感し、血液や尿、心電図など各種検査ができる仮設検査室を避難所に設置するよう行政側に訴えた。

 だが、備えもマニュアルもない。まずは検査機器や試薬の調達から始める必要があった。関係機関との調整にも時間を要し、同市兵庫区の公園にようやく開設できたのはほぼ1カ月後。それでも3月末までに、各地からボランティアの臨床検査技師が集まり、延べ約180人で8千件超の検査をこなした。

 感謝の言葉の一方で、検査を受けられなかった地域では「なぜ、あそこだけ」という声があったと、後で知った。それが今も「心のとげ」だが、東日本大震災では教訓が生かされ、迅速に仮設検査室ができた。

 定年退職後は民間検査機関などで後進を育成する。「いざというとき、医療に携わる者として何ができるか常に考えてほしい」。いつもそう説いている。

■子育てと仕事の両立男も女も 高島絢子さん(31)

 これまでの人生がほぼ平成と重なる高島絢子さん(31)=明石市=は「男性も女性も、昭和より人生の選択肢が広がった」と感じる。

 姫路市のメーカーに就職したのは2009年春。米国発のリーマン・ショックが、世界同時不況を招いていた。相次ぐ派遣切りが社会問題化し「仕事があるありがたみを感じた」。大企業でさえ破綻し、終身雇用も揺らぐことに不安を抱きながら、社会人となった。

 「先行きが不透明な時代になったからこそ、夫婦共働きが多いのかも」。高島さんも共働きを選んだ。

 昭和のホームドラマなどでは、夫が外で長時間働き、妻は家庭で、という設定が多い印象だ。だが職場では時代の違いを実感する。

 若い世代の男性は、仕事以外に余暇や子育てを楽しんでいる。「男性社員が顔を合わせれば、子育て話。みんなイクメン」。出産後も働き続ける先輩が多く「私も子育てしながら働こうと思うようになった。もう特別な選択ではなくなっている」と話す。

 大災害が日本人の感性を変えた、と指摘する。「経済的な発展より幸福を選び始めた時代。平成に生きた自分は幸せだと思う」と笑顔を見せた。

2018/3/21
 

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