私たちはオランダ中央部のユトレヒト州アメルスフォールトで、姉が安楽死を選んだ女性の話に耳を傾けている。マーハ・デ・フライさん(71)という。
10歳離れた姉のシャーロットさんには、肺の病気があった。「彼女の不安は窒息で死ぬことでした。家庭医に安楽死を求めていました」
2017年の冬、重度の肺炎になり、大学病院へ搬送される。一命を取り留めたものの、医師から「家へ帰るのは無理だ」と告げられた。
「姉は燃え尽きていました」。マーハさんがその時の様子を振り返る。「会話はできても、歩けないし疲労感がある。不快感が強くて、夜になると『まだ眠れない』と苦しんでいました」
入院先の大学病院で安楽死ができるかどうか相談する。肺疾患の専門医は「分かりました。手伝いましょう」と言ってくれた。
◇ ◇
安楽死が実施される日がやってきた。シャーロットさんが搬送されて半月ほどがたっていた。
マーハさんがシャーロットさんの息子と一緒に病室へ入る。姉の体には管がつながれ、準備を進める医師に「ありがとう」と繰り返していた。
「私が姉に掛ける言葉はありませんでした。安楽死が決まってからいろんな話をしましたから。薬を入れ、あっという間に亡くなりました」
死の瞬間を見守り、どんな気持ちになりましたか?
「深い悲しみと、姉が苦しみから救われるという喜びでしょうか。オランダで生きてて良かった、と思いました」
姉の死から3年が過ぎた今も、喪失感は消えない。家が近く、友だちのように仲が良い姉妹だった。
「でも、あの時は苦しむ姿を見るのがつらかった。安楽死をした判断は本当に良かったと思っています」。マーハさんが笑顔で言った。
◇ ◇
印象に残っている言葉がある。マーハさんが自身の最期について、安楽死か致死薬を飲む自死で迎えたい、と語った時のことだ。私たちは「自分の判断で人生を終わらせることに、怖さはないですか?」と聞いてみた。
「まだ自分に生きる価値があるかどうかは、自分で決めたい。この先、生きることに耐えられない苦しみがあるかどうかも、自分で決める。だから怖さはないの」。マーハさんは目を見開き、はっきりと答えた。
2020/5/3