安楽死が法律で認められているオランダの首都アムステルダムで、私たちは家庭医のバート・マイマンさん(64)と向き合っている。
「安楽死が決まると、患者は安心感を得られます」。バートさんはそう言って、こう付け加えた。「最期の日まで家族とゆっくりと過ごし、別れを告げられます」
オランダで最初に話を聞いたネル・ムラーさん(82)も同じような考えだった。ネルさんは自ら致死薬を飲んで臨終を迎えたいと言い、「死を念頭に置いて生きると、それまでの時間をもっと楽しめる」と笑顔で話してくれた。
患者が家族と話し合い、自ら死を選ぶ。医師として、その選択を受け入れることに葛藤はないのだろうか。
「悩んでいる部分ではあります」。バートさんがつぶやく。「でも、治療が苦痛を延ばすだけになることもある。それはいいのでしょうか」
私たちは問われたものの、返す言葉が見つからない。
「家庭医は患者に、尊厳ある形で家族とお別れしてもらわなければいけないのです」。バートさんが力を込める。
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日本で取材をしている間、私たちは尊厳死という言葉をよく耳にした。延命措置をせず、自然なまま迎える死のことをいう。そもそも、尊厳とは何を指すのだろう。
バートさんの答えは「それぞれが最も大切に考えていることだと思います」。
もしも、患者が不安定な心や不眠で苦しんでいるなら、医師は薬で対処できる。だが、知らない間に排せつをしたり、誰かのケアに頼らざるを得なくなったりすると、状況は変わってしまう。
「患者が自分の尊厳が失われていると感じると、打つ手はなくなります」。バートさんが声を落とす。「そして、その人が安楽死を望むなら検討しなければいけません」
それは、まだ生きられる命の終わりを考えることを意味する。私たちには抵抗感があるのだが…。
「でも、死が近づく患者が治療に追われると、家族に別れを告げる大切な時間が少なくなる。尊厳ある死を奪うことになります」。バートさんは迷わず言った。「死ぬまでの治療は最大のケアですが、最善のケアではないのです」
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今回、取材の通訳をしてくれた女性は18歳まで日本で暮らし、今はオランダに住む。次回は彼女の話を届けたい。
2020/5/6