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人工呼吸器が着けられた母親の写真を見ながら、当時を振り返る黒崎待子さん=加東市
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人工呼吸器が着けられた母親の写真を見ながら、当時を振り返る黒崎待子さん=加東市

人工呼吸器が着けられた母親の写真を見ながら、当時を振り返る黒崎待子さん=加東市

人工呼吸器が着けられた母親の写真を見ながら、当時を振り返る黒崎待子さん=加東市

 もう一人、私たちが話を聞いた読者の経験を届けたい。

 きっかけは私たちの手元に届いた一通の手紙だった。文面から、2年前に亡くなった母親の延命治療について、今も悔いが残っていることがうかがえた。

 「母は強力な酸素吸入をし、4週間永らえて亡くなりました。結局、苦しめただけになったと思いました」。差出人は加東市の黒崎待子さん(68)。真冬の寒さが緩んだ3月中旬、私たちはJR加古川線に乗って黒崎さんの自宅を訪ねた。

     ◇     ◇

 黒崎さんの母、稲見なみゑさんは2018年の冬に94歳で亡くなった。「母はかかりつけの医者に『死ぬっていうのはその時が来たってこと。無理に命を引っ張らんでええねん』と言ってました」。もしもの時の延命治療は望んでいなかった。

 17年秋、稲見さんは特別養護老人ホームに入った。それまで黒崎さんは1年半にわたってほぼ毎日、稲見さんの元を訪れ、掃除や洗濯の世話をしていた。

 翌18年の1月下旬、施設で急に体調を崩して搬送される。連絡を受けた黒崎さんは病院に駆け付け、医師に「母は延命せんといてほしいって言ってたんです」と懸命に伝える。だが、聞き入れてもらえない。

 稲見さんの口元に、人工呼吸器の大きなマスクが着けられる。直前、稲見さんはベッドに横になったまま、歌謡曲を口ずさんだそうだ。「アカシアの 雨に打たれて このまま 死んでしまいたい」。黒崎さんが幼い頃に流行した曲だった。

 「母は音痴やからって、絶対に人前で歌わなかったのにね」。当時のことを振り返りながら、黒崎さんが下を向いて、つぶやいた。

     ◇     ◇

 人工呼吸器から稲見さんに酸素が送られる。「母は意識はあって、呼吸器のマスクを『取って、取って』としか言いませんでした。とても苦しそうでした」と、黒崎さん。

 稲見さんの意識はだんだんと薄まり、数日後には会話ができなくなる。

 搬送から約4週間がたった2月下旬、病室を訪ねた医師が告げる。「すでに延命治療になっています。どうされますか?」

 黒崎さんは「家族と相談します」としか答えられなかった。

2020/5/15
 

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